#14 体に還る
テクノロジーは進化し続けているはずなのに、私達はいつまで経っても、忙しなく気が休まらない。
本当はシンプルにただ生きているだけで良いはずなのに、社会が、そして自分がそれを許さない。
汚い話で恐縮だが、ここ最近、私は下痢を繰り返していた。
腸の調子が悪くなるだけで、私の毎日はパッとしなくなる。
逆に言えば、お腹の調子が良く、良い便が出て、良く眠れれば私はハッピーだ。
良い便と良い眠り。これを実現する為には、適切な運動とバランスの良い食事、私の場合だと、出来るだけ多くの野菜、お肉又は魚、適度な炭水化物が必要だ。
体を動かして汗を流し、お腹が減ったら美味しいご飯を食べて、眠くなったら好きなだけ寝る。
結局、これで良いじゃないか。
むしろ、こんなシンプルなものすら確保できないテクノロジーとは一体何のためにあるのか?
SNSのフォロワー数も、インフレも、円安も、人口減少する日本の未来も悲観すれば、キリなくどこまでも不安になれる。
仕方ないから現状を知らなくてはいけないけれど、そんなこと知ったところで、私達個人は幸せにはきっと近づけない。
体と心はくっついている、と言われる。
私達が死んで体を離れても、ある種の肉体性のようなものは続く、という説がある。
具体的な形がなくなり、捉え所のないただのエネルギー物資になるのではなくて、映画やアニメで見るように、死者の霊が生前の姿を留めている、あんなイメージだろう。
だから霊体と言ったり、エネルギー体と言ったり、物資的な体を抜けても、何かしらの枠としての体が存在する。
逆にニューロリンクのように、脳とコンピュータを直線繋ぐというテクノロジーもあるようだが、そんなことをして私達の脳は正気を保っていられるのだろうか。
私達の感情は、実は腸内の細菌に大きく影響を受けているという説もある。
難しく考えなくても、腹痛で下痢している時に冷静で温和でいられる人間はそう多くないだろう。
そして、体にはいつか滅ぶ時が必ず来る。
瑞々しく若々しくあることが勝ちなのだとすると、私達は誰もが年老いて、弱々しく、醜く滅びていくこと、つまりは負けを宿命付けられている。
負けの過程の中で、痛みに耐え、悲しさに耐え、寂しさに耐え、何かを学ぶのが人生だろうか。
汚い話で恐縮だが、下痢を通して、そんなことを考えました。
最後までお読み頂きありがとうございました。