『茶の本』 天心との対話
大事なときに、いくつものメッセージが届く。
これまでもずっとそうだった。
「彼」の想いを私なりに解こうと思ったのは、いつのことだったろう。
もともと見えない存在と通信するのは得意な方、だと思う。
しかも私は、あまり一般的に理解され難い人物と馴染みがいい。
(それは現世でも同じだけれど)
覚三さんは近くにいたら、かなり不愉快な人物といえる。不愉快というより、不穏や不安といったほうがいいかもしれない。
姿に、もうそれが表れている。
だから彼がいかほど繊細かつ複雑な感受性を有しているかなど、凡人にはまったくわからない。その度合いも「異常に」といっていいほどだから、理解の範疇を超えるのも仕方ない。
ここで、「だけど私は理解できる」などと言うつもりはない。
私も彼から見れば不理解である者のひとりでしかないだろう。
それでも・・・
それでも、伝わってくるものがある。
静かにひたひたと忍びより、いつの間にか足もとから私の全身に染みとおってゆく。
何が共鳴し、共振しているのか、なんとなくわかっている。
格好つけたような表現になってしまうかも知れないけれど、彼の中にあり、私の中にもある、孤独な魂が響き合っているのだ。
いつしか無言の対話が始まっていた。
「天心との対話」としたけれど、ほんとうは、「覚三さんとの対話」としたい。
なぜなら彼がほとばしるような想いで著した『茶の本』には、天心ではなく覚三とその名を記しているから。
覚三さん。そうですね。
あれやこれやと、美しいとりとめのないことを。
そして私は、私に問いかけた。
時空を超えた対話を、筆記してみないか、と。
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