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一なる生命の意識? シヴァとシャクティの合一   (ヨガ・瞑想の思索)

メモ殴り書き

クンダリーニ

 クンダリーニは(根源的な)「生命エネルギー」と表現されている。
これは人体の生命現象・生命活動に関係するものなのだろう。
では人体のどういった生命現象・活動と関係するのだろうか。

それはやはり、とくに人間の意識・精神(意思、感情、情操、情動、欲動、、、)と密接に結びついた生命活動なのではないだろうか。


 クンダリーニなどと呼ばれるこの生命エネルギーは、平素は、人体の中枢神経、自律神経の内に、(そして意識の内に、)いわば埋もれている。
特殊な状況において、この活動が人体に顕現する。

この点において、スピリチュアル、神秘思想的な表現を用いるならば「クンダリニーは人間の魂・霊を物質的な肉体にとどめる」と言えるかもしれない。


この生命エネルギーが顕現する特殊な状況というのは、様々なものがあるのかもしれないが、その内の一つは「霊性、内なる意識に向かう」という意識ー神経生理の状況。

この点において、スピリチュアル、神秘思想的な表現を用いるならば「クンダリニーは人間の魂を物質的な肉体から解放する」と言えるかもしれない。


関連note:【ヨガの分類②】クンダリーニ系ハタ・ヨーガ。瞑想やムドラーを重視する密教のヨーガ


チャクラ、グランティ(結節)

 クンダリーニはとくに人間の意識・精神に深く関わる生命現象・活動に起源があると表現できるのかもしれない。

ヨガ、瞑想、密教、、、の伝統の中で継承されてきたことを鑑みて、クンダリニーの活動に相当するものを大雑把に分類すると、、、


情動、欲動

情操

意識

、、となるのかもしれない。

これにチャクラグランティ(結節)といったものを当てはめることができるだろう。

分かりやすいのが性欲・性的衝動で、これは第1チャクラ、第2チャクラに関係するだろう。
第1チャクラはどちらかというと、性的活動に関する神経の活動・反射の方に関係が深く、第2チャクラはとくに性の情動面に関係が深いのかもしれない。

そしてこの「低次」の情動・欲動への執着、こだわりが、グランティ、この場合はブラフマ グランティに該当するのだろう。


シヴァとシャクティの合一

 「エナジーオーガズム」といったことを考えると混乱するが、ヨガ・瞑想・密教の伝統では、原則としてクンダリーニが覚醒・上昇するには節制が必要だと言う見解。

クンダリーニは人間の意識・精神に深く関わる生命現象・活動に起源があるものであり、低次の情動との結びつきから解かれる必要があるのだろう。

この生命エネルギーの活動が低次の情動から解放され、さらに情操といった精神活動をも通って、より純粋な「意識」へと集中される。

この「意識」には大雑把には、純粋ではあるが「自我・エゴに関する意識」と、自我・エゴといったものを生み出す前の、エゴのない、それゆえに自己超越的な「大いなる」「一なる」とでも表現できるような、より「純粋な意識」に分けられるのかもしれない。

この「自我・エゴに関する意識」に関して、第6のチャクラ、アージュニャー(アンニャ)チャクラやルドラ グランティが関係するのかもしれない。


このような過程をとおして、純粋な意識と、生命エネルギーの「合一」といった体験があり、これがヨガにおける「シヴァとシャクティの合一」と表現されるものなのかもしれない。

「シヴァとシャクティの合一」というのは、思想的・神話的な表現であるだけでなく、人体における体験の直接的な表現とも言えるのだろう。



一なる生命の意識

 「シヴァとシャクティの合一」であり、純粋な意識と生命エネルギーの合一の状態というのは、「一なる(大いなる)生命の意識」とでも表現していいのかもしれない。


 これについて様々な考察を提案すると、たとえばこの「一なる生命の意識」は、常に人間の意識の内にあるが低次の情動などによって覆われている、という説も考えることができる。
 このような思索はなんとなく「ゾクチェン」を連想させる。

ちなみに「ゾクチェン」においても、生命エネルギーの体験はあるとされる。たとえば背骨付近を熱いものが上昇する体験など。

 さらにこの一なる生命の意識というのはエゴのない大いなる意識・一なる意識であり、宗教・精神的な伝統などの信仰心、菩提心、バクティ、愛、慈悲、、、といったものの本来的な起源であり、かつ、信仰心やバクティの本来的な対象であり、さらに、この内なる意識を求めようとすること自体も、この意識の働きのあらわれかもしれないという考察も提案できる。


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サイキックな現象?

 サイキック(超能力、霊能力)があるのかどうかは分からない。
これは今のところは科学的理解・パラダイムの範疇にはないものではある。

もしサイキックを支持するならば、上の一なる生命の意識といったものをあわせて考察するのも面白いかもしれない。

つまり一なる生命の意識というのが、サイキック現象の重要な要素の場合もあるのではという思索。


たとえば気功では外気功というのがある。
同じようなものに、ヨガではシャクティーパットというのがある。

ヨガのシャクティーパットについては、能力者が行うと、意識変容体験などかなり明確な体験があると伝えられている。

外気功でもシャクティーパットでも生命エネルギー(気、シャクティ、プラーナ)を他者に注入すると説明されるが、現象としては、意識ー神経生理における「同調現象」「共鳴現象」のような側面もあるのかもしれない。

こういった現象に一なる生命の意識といったものが関係するのかもしれない。