【注意喚起】瞑想の危険性について。顕教と密教の統合――「大印契」の提唱
瞑想の危険性(副作用、リスク)については界隈では様々な見解、注意があります。
この瞑想する人noteでは今までは、危険性に関連する事態というのは稀なことであると考えていたので強調してきませんでした。
マニアックな実践は別として「基本的には瞑想は安全で良いものである」という考え、方針でした。
しかし私の考えは甘かったようです。
今回「瞑想の副作用かも① 」、「瞑想の副作用かも② 」のnoteにあるように悪夢障害と精神状態の悪化を体験をしてから、この考え、方針を修正することにしました。
以前よりも瞑想のリスクを高めに考えるようになりました。
マガジン:瞑想のリスク
瞑想の危険性と無意識
瞑想の危険性について今回の記事でとりあえず述べておきたいのは無意識からの影響です。
頻繁なことではないとは思うのですが、瞑想によって無意識からの影響力に強く曝されるような場合があり、それがリスクにつながると考えます。
以前、密教(生命エネルギーの実践)に関してリスクに触れたことがあります↓↓
これも無意識からの影響力のリスクに触れました。
密教のような特殊な実践によって心身の不調が生じることがあるというのは、いろんな人が語っていることではあります。
例えば「クンダリニー(クンダリーニ)症候群」など聞いたことがある人もいるのでは無いでしょうか?
普通の瞑想の場合は、穏当なものであり、今日では先進諸国でも広く認知され実践されるようになってもいます。
巷でもそれほどリスクは気にされてないようです。
しかし私は述べたように悪夢障害と精神状態の悪化を経験して、瞑想のリスクをより高めに考える方針にしました。
もちろん私の経験した悪夢障害などが瞑想に関係するという明確な根拠はありません。
しかし瞑想は無意識に向き合うという要素があると考えられます。
そのため無意識に絡むリスクを警戒するのは妥当であると考えるようになりました。
(そもそも普通の瞑想も、密教も無意識に向き合うというという点では同じ)
数年前のうつ不安も酷い体験でしたが、今回の悪夢障害と精神状態の悪化も短期間でしたが酷いものであり、まさに悪夢であり、表現の難しい異様な恐怖感のともなったものでした。
これが長く続いたら本当に発狂するんじゃないかと思うようなもので、2度と経験したくないです。こりごりです。
瞑想に熱心になるのはリスク?
今現在瞑想を実践する人が国内外で増えているにもかかわらずに、その副作用についての報告が少ないように感じられます。
これには副作用を経験してもわざわざ証言しなかったり、メディアで注目されていないこともあると思います。
しかし実際には多くの人は副作用を経験しないというのもあると思います。
私も1回10、20分の瞑想を1日1、2回くらいではリスクを気にする必要はほとんど無いのではと考えています。
心身の健康に良くてポジティブなものだと思われます。
無意識との関連でリスクが高まる人は、瞑想を熱心に真面目に続ける人達だろうと考えています。
「熱心に真面目に続ける人達」というのは
つまりそれなりの時間を真面目に瞑想に費やす人達です。集中的な瞑想をする人達です。
こういった人達の場合にはリスクが高まると考えます。
瞑想の実践によって無意識からの影響に曝され精神がむしばまれるという事態があり得るのではないかと考えます。
他には、しばしば瞑想界隈で言われてますが、トラウマ、PTSD、心の問題、強いコンプレックスやフラストレーション、強い神経症的傾向、、、などがある場合には瞑想によって精神状態が悪化することがあるかもしれません。
霊性、精神的教訓・修養を受け入れるように勧告
大部分の人にとって瞑想のリスクを避けるベストな方法は熱心に瞑想をやりすぎないことだと考えます。
長い時間を瞑想に費やすのはやめましょう、というのが私の提案です。
しかしもし長時間の瞑想を習慣にする場合には「瞑想する人」noteの方針としては精神的な教訓・修養の実践を受け入れるように勧告します。
他の瞑想指導者の見解は知りませんが、この「瞑想する人」noteの方針として精神性を無視した長時間の瞑想習慣、集中的な瞑想の実践は誰に対しても決してすすめません。
精神的な教訓というのは、この瞑想する人noteにおいては霊性(愛他性)に関することだと提案します。
仏教の四無量心などを学ぶのも良いと想われます。
七仏通戒偈も有名です。
瞑想する人noteでは、瞑想の真面目な実践(集中的な実践)においては霊性が重要であるという方針を明確にします。
大印契 ―― 顕教と密教の統合
この瞑想する人noteにおいては、霊性(愛他性)に関する修養・実践を「顕教」として、生命エネルギーの実践である「密教」に集中的な瞑想実践を含めて、顕教と密教の統合をあえて「大印契」として提唱します。
宗教っぽくて大げさなネーミングかもしれませんが、顕教と密教の両方が共に重要であるというのを強調するために、あえて大印契として提唱します。(ネーミングセンスが良いとは思いませんが、笑)
仏教(チベット仏教)やヨガに大印契(マハームドラー)という体系、奥義、修行法、用語がありますが、この瞑想する人noteでは、顕教と密教の統合された実践を大印契とします。
瞑想と無意識について他にも
既に一部では提唱されていることではありますが、実際の本格的な適用は難しいと思われますが、、、無意識に向き合うということでは、集中的な瞑想が効果的なメソッドであるのなら、これは精神医療へ適用できる可能性自体はあるのでなないでしょうか?
トラウマ、PTSD、、、などです。
心の奥底にまで突き刺さり、脳、自律神経、内分泌系の働きまで変調するほどの深刻な問題の場合には、瞑想によって無意識層(識閾下領域)が活性化すると事故が生じる可能性があるので、瞑想に理解のある精神医療の専門家と熟練した瞑想家のサポートは必要だとは思われますが。
これはサイケデリクスの精神医療への適用といったことにも関連することだと思われます。
諸刃の剣といったところがあると思われますが。
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