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オウム「タントラ ヴァジラヤーナの救済」
“ …… 修行経験のような主観に頼る方法によっては教義の正確な検証ができるはずがありませんでした
このことに早く気づいていれば私はオウム真理教に関心を持つことはなかったと思います
神秘体験にとらわれて オウム真理教に深入りすることもなかったと思います
これに気づかずに非人間的な罪を犯すまでに至ったおろかさに恥じるばかりです
修行経験によっては教義の検証ができるはずがないことを 二度と私と同じ誤ちが起きないように
アーレフの信徒やこれに類似した修行によって人生の問題の解決を試みようとする人に伝えたいと思います
……”
広瀬健一『被害者への謝罪文 平成十六年三月』 より
オウム真理教事件
神秘体験の弊害についてのnoteです。
今回は書籍 広瀬 健一 著『悔悟 オウム真理教元信徒・広瀬健一の手記』を参考にして補足します。
関連note:神秘体験の弊害(瞑想する人note)
加古隆『パリは燃えているか 』
引用・参考文献 ※
※ 広瀬 健一 『悔悟 オウム真理教元信徒・広瀬健一の手記』高村 薫 監修 朝日新聞出版編 2019
広瀬健一・・・オウム幹部。地下鉄サリン事件、教団武装化などに関与。2018年に死刑執行。
オウムとグノーシスと神秘体験
noteで、オウム教団はグノーシス主義の傾向が強かったのだろうと述べました。
グノーシスには以下の特徴があり、オウムはこの特徴に当てはまると考えられます。
・「グノーシス」つまり「霊的な知識」、霊知、霊的洞察、啓示的知識がなによりも重視される。
→オウムでは文字通り「グノーシス」つまり霊的な知識や体験、実践が重視された。
・このグノーシスは、しばしば、内的体験、直接体験、一瞥体験、神秘体験、宗教的体験、啓示的体験、、、によって得られるとされる。
→オウムには「グノーシス」のための実践、特殊なヨガ・瞑想、密教、生命エネルギーの実践があり、実際に直接体験、神秘体験をした信者も多い。
・反宇宙的二元論の思想がある。
→オウムは凄惨な事件を引き起こし極端な「反宇宙的二元論」を文字通り行ってしまい破壊的なものとなった。
簡潔に言うと、、、、
オウムは神秘体験・直接体験を重視し、かつ、それを実現するヨガ・瞑想・密教という強力な手法まであった。
そのため現代にあって顕著なグノーシス主義の教団になり、そのグノーシス主義にしばしば見られる「反宇宙的二元論」を文字通り、忠実に、実行してしまった。
、、、、というように考えられます。
以下は、書籍 広瀬 健一 『悔悟 オウム真理教元信徒・広瀬健一の手記』による補足です。
・そもそも神秘体験によって誕生した教団
“ オウムの教義・修行は、原始仏教・大乗仏教・密教・ヨガなどを源泉としていました。その教義・修行には、これら東洋の宗教・思想の原始的な教義・修行、つまり草創期の段階のそれの影響が色濃く見られたことに着目すべきでしょう。そのために、オウムが極めて"強力な”宗教になったからです。” ※ pp.87-88
“……信徒は、教義の世界観に対する現実感がこの世に対するそれを凌駕すると、一般社会から離脱していきました。
このような影響力を有するオウムの教義は、麻原の得た宗教的経験が根拠でした。つまり麻原は、ヨガなどの経典に記載の行法を試みて宗教的経験を得、伝統的な教えを独自に検証・解釈してオウムの教義としたのです。” ※ p.89
以前のnoteでグノーシス主義自体が神秘体験・直接体験の「啓明」によって発生したという意見を述べました。
この点においてもオウム教団は共通します。
オウムも教祖の神秘体験によって誕生しました。
このことは、上祐史浩氏(ひかりの輪)ほかの多くも主張していることです。
オウム教祖は一時期、宗教や自己啓発セミナーを金儲けの手段と考えるような人物と共に行動するなど、インチキくさいところは実際にあります。
しかし、どうやら神秘体験などしやすい「霊媒体質」で、ヨガや密教、仙道などの素質もあったようです。
オウムで最も神秘体験・宗教的体験を豊富に経験したのは、他ならぬオウム教祖自身だとも言われています。
・神秘体験とオウム教義の受容
(カルトの超越的世界観は)“非現実的であるために、受容が困難なのも事実です。ところが「神秘体験」「超越体験」などと呼ばれる幻覚的な宗教的経験は、その受容を著しく促進します。
オウムにおいても、教義の正当性の根拠は、その種の宗教的経験でした。つまり多くの信徒は教義の世界を幻覚的に経験しており、その世界を現実として認識していたのです。地下鉄サリン事件への関与は誠に愚かであり、心から後悔しておりますが、この事件についても、宗教的経験から、私は教義上の「救済」と認識して行いました。” ※ p.27
“ このように、宗教的経験は、「殺人」を肯定する非現実な教義さえ受容させる原因となります。したがって、宗教的経験を根拠とする思想やこれを起こす技術の使用には注意すべきです。” ※ p.27
グノーシスの特徴として、「グノーシス(霊的知識)」が尊重され、そしてそのための直接体験、神秘体験、啓明体験が重視されると述べました。
この点においても、まさに、オウムはグノーシス的であったということです。
オウム信者の中にはオウムが提供する修行によって神秘体験をした人たちが多いと言われています。
裁判での証言や様々な手記、記事でも語られています。
“……
初めて受けた貴方のシャクティーパットは、衝撃的な体験でした。
なぜならクンダリーニが上昇し、目の前が光で満ち溢れ、そして三十分近く私は身体を動かすことが出来ませんでした。
貴方は常々「グルは弟子のカルマを見切り、コントロールしそして取り除くことが出来るんだよ」と申してましたね。
だからこそ貴方は、私のカルマを取り除き霊的ステージを上昇させ、クンダリーニを体感させて呉れたのだと心から感謝し、正に貴方こそ前世のグルだと妄信し、全く疑うこともなく、出家すれば間違いなく世のため人のために修行が出来、自己の解脱・悟りも可能だと決意したのです。
……”
“……
当時の私達は、神秘体験の日々の中で当たり前の如く現実社会こそ幻影(マーヤ)であると考え、オウムのカルマ理論と高次元のエネルギーこそ真理であると確信し、これこそ科学であると自身をもって胸を張っていたものでした。
……”
岡崎(宮前)一明:「麻原彰晃への思いを記した手記」
宮前一明手記『一体、何がそうさせたのか』より
岡崎(宮前)一明・・・オウム幹部。坂本弁護士一家殺害事件などに関与。2018年死刑執行。
「脱オウム」を公言する上祐史浩氏(ひかりの輪)も公言しています。
「バルドーのヨガ」の体験(3:37~)
“ ……
この修行の中で、私は、仏教の経典に書かれているようなさまざまな神秘体験をした。最も影響を受けた体験は、深い瞑想(サマディ)による体外離脱である。病気で仮死的な状態になった人の臨死体験を耳にすると思うが、それとよく似ている。瞑想が深まり、体の感覚がなくなったあとに、意識が体外に離脱。上昇して天界のような世界や、下降して地獄のような世界を体験し、体内に戻ってくるのである。
極厳修行の過程で、私は何度か麻原のイニシエーションを受けた。その際、神秘体験をするとともに、麻原の霊能力も体験した。私の体に触れながら、麻原は通院歴のある私の体の悪い部分や、痛みのある部分を言い当てたのだった。
…… ”
実は、オウム事件の発覚後に、大学教授や心理学者、ジャーナリスト、ノンフィクション作家などの中にオウムの修行を体験してみた人たちがいます。
やはり神秘体験をしたという手記があります。
たとえば大泉 実成 著『麻原彰晃を信じる人びと』洋泉社 1996 など。
タントラ ヴァジラヤーナの救済
オウムには殺人や破壊的活動を肯定する教義があって、それに従って凄惨な犯罪が実行されたなどと言われています。
それは「ヴァジラヤーナ」「タントラ ヴァジラヤーナ」と知られています。
・【萌芽】オウムにおける「反宇宙的二元論」 ――― そもそも当初から破壊性が無かったのか?
“ オウムの教義・修行は、原始仏教・大乗仏教・密教・ヨガなどを源泉としていました。その教義・修行には、これら東洋の宗教・思想の原始的な教義・修行、つまり草創期の段階のそれの影響が色濃く見られたことに着目すべきでしょう。そのために、オウムが極めて"強力な”宗教になったからです。” ※ pp.87-88
私がふと思うところでは、「社会にとって悪影響、破壊的な影響がありそう」といったものは、当初からオウムにあったのではないか?ということです。
これはオウムに限らず宗教自体の問題とも言えます。
つまり、、、、
・宗教は現代先進文明に馴染まないものである。
・多くの宗教団体や信者は、うまいこと現実社会と折り合いをつける。
・しかしオウムはそうではなかった。あくまで宗教実践を貫こうとした。
、、、、ということです。
関連note:霊性の実践(霊性の道)のあり方について① #思索のメモ
オウムの場合は、「グノーシス」の傾向が強いものであり、やはり「反宇宙的二元論」の要素も見られました。
“ …… たとえば麻原は、一般社会は人々を苦界に転生させると説きました。信徒はかかる教義に従い、一般社会における生活から離れ、ついには一般社会に対する破壊的活動をなすに至ったのです。” ※ p.89
“ …… オウムにおいては、現代人の日常的な行為は悪業になるとされていました。そして、一般社会は悪業となる行為を促し、私たちを三悪趣に転生させるとして警戒されていました。
この教義が受容されると、信徒は一般社会での生活において、葛藤にさいなまれることになります。悪業を積むのを回避するために、周囲の非信徒の人たちと協調しにくい状況が生じてくるからです” ※ p.122
・たとえば出家制度
悪影響、破壊性が明確に具現化したものの一つは、「出家制度」ではないでしょうか?
これは確かに個人的な信仰上の選択であって、オウム以外の宗教にも現代でもあるわけですが、しかし、財産を布施して出家した当人の家族・近親者にとっては、まさに破壊的なものだったでしょう。
(結果論としても、まさに破壊的なものになりました)
“ (出家者は)家族とも絶縁の形になり、解脱するまでは、会うことも、連絡することも禁止でした。財産はすべて教団に布施し、私物として所有できるのは、許可されたもののみでした。” ※ p.39
“ 入信時、私は出家をまったく考えていませんでした。長男という立場上、親の老後を見たいと思っていたからであり、また、出家すると家庭が崩壊しかねないと思っていたからです。” ※ p.40
“ …… 入信間もないころ、私はある在家信徒と話をしました。彼は出家の準備のために定職を捨て、アルバイトをして暮らしていました。その話を聞き、私は恐怖心さえ抱いたのです。実際、昭和六十三年十月の私について、母は「就職の内定を喜び、安心している様子だった」旨法廷証言しており、……” ※ p.40
“ …… 当時両親は私と共同で買った家に住んでおり、共同でローンを支払っていたのですが、私が出家するとなると、家を手放さなくてはならなくなるからでした。一人っ子の息子が出家するというだけでも、両親にとってショックであるのに、そのうえ、家を出てくれとは、いくらなんでも年老いた両親に言えることではありません。
それで、そのことをグル麻原に相談したのですが、その時のグルの言葉は、「一度カルマを精算した方がご両親のためでもあります。家は売りなさい」という鬼のような指示だったのです” p.58
“ ……「現世的には非常な不幸をかけることになるけれど、長い輪廻転生のなかでは、出家して解脱することが、本当の意味で親孝行になるのだ」と考えるに至ったからです。
……母親などは、ここ数日、毎晩泣いていたということでしたが、話を聞くなり、「わかった。お前の好きなようにしなさい。この家は売ることにしましょう」と言ってくれたのです。” pp.58-59
早川紀代秀・・・オウム幹部。坂本弁護士一家殺害事件などに関与。2018年に死刑執行。
“ 私は、東京拘置所で四度ほど井上嘉浩に面会している。死刑が確定し、外部交通権が制限を受ける前の二〇一〇年一月が最後だ。
その八年前とまったく変わっていない井上嘉浩が、そこにいた。
……
ほっとした。
この穏やかな顔が、どれほど両親を安心させただろうか。そう思ったのである。母が息子の頬を撫でながら、
「髭が少し伸びたんですよ」
私に向かってそう説明してくれた。
死者は命を失ってもしばらくは髭は伸びるという。昨日より髭が伸びた、と母は言うのである。
「一八歳で家を出て行き、四八歳で帰ってきました」
息子の顔から手を離さないまま、母は私にそう語った。”
井上嘉浩・・・オウム幹部。地下鉄サリン事件など多くの重大事件に関与。2018年に死刑執行。
・ 「ヴァジラヤーナの救済」 ―― 実にグノーシス主義的なもの
“……
麻原からの予期せぬ指名に、私はとまどいました。「数百人の商人を殺して財宝を奪おうとしている悪党がいた。釈迦牟尼の前生はどう対処したか」――この難問への回答を求められたのです。” ※ p.132
“ 例えば、ここに悪業をなしている人がいたとしよう。そうするとこの人は生き続けることによって、どうだ善業をなすと思うか、悪業をなすと思うか。そして、この人がもし悪業をなし続けるとしたら、この人の転生はいい転生をすると思うか悪い転生をすると思うか。だとしたらここで、彼の生命をトランスフォームさせてあげること、それによって彼はいったん苦しみの世界に生まれ変わるかもしれないけど、その苦しみの世界が彼にとってはプラスになるかマイナスになるか。プラスになるよね、当然。これがタントラの教えなんだよ。” 教団発行の説法集『ヴァジラヤーナコース教学システム教本』より。 ※ p.133
オウムの犯罪の動機、オウム教祖の狂気を理解するのは、不可能と言えるほどのものです。
これについてはオウム教祖および信者の狂信、またオウム教祖自身の人格障害や空想虚言癖それに社会への憎しみ、さらに教団内の集団心理、信者の承認欲求、、、などが指摘され強調されることがあります。
しかし一方で、本当に狂気を感じさせ、受け入れがたいものではありますが、これは、主な動機としては、文字通り信仰によるものだったという考えもできると思われます。
この「ヴァジラヤーナの救済」というのは、実にグノーシス的な、グノーシスの闇がむき出しになったような動機、実践だったということです。
“ …… 麻原が意思した全世界への攻撃に直結する動機が、従来の"麻原論"には見当たらないのです。"麻原論"が動機として掲げるいかなる彼の脛の傷も、その狂気の沙汰との懸隔を問われれば、たちまち説得力を失わざるを得ないでしょう。薬事法違反の罪に問われたことと、世界中の人々を「ポア」することの間に、脈絡を見いだすのは困難です。
私が知る限りにおいて、直接動機として説得力を持つのは、麻原の宗教的経験――アビラケツノミコトとして戦えと神から啓示を受けた経験――以外にありません。” ※ pp.81-82
“ ……教団が初めて違法行為に手を染めるに至る出来事が起きました。その際に、麻原が「これはヴァジラヤーナに入れというシヴァ神からの示唆だな」と語るのを、側近の出家者が聞いています。” ※ p.114
“ 教団の武装化・破壊活動の目的について、麻原は「人類の救済」である旨を述べていました。オウムの教義の見地からは、現代人は悪業をなしているので、その報いとして、来世は苦界に転生するとされていました。それを救済するために、人々を殺害してより幸福な世界に転生させたり、あるいは武力を用いて地球上にオウムの国家を実現し、人々にオウムの教義を実践させたりする必要があると麻原は説いていたのです。この救済方法は「ヴァジラヤーナの救済」と呼ばれていました。” ※ pp.211-212
「反宇宙的二元論」のグノーシス主義による救済が「ヴァジラヤーナの救済」というわけです。
オウム教祖自らが信じ、数々の神秘体験・宗教的体験によって確信し、その信仰の通りに実践したという主張です。
もし言われているように、オウム教祖には人格障害や空想虚言癖、社会への憎しみがあったとした場合には、それらは、オウム教祖自身の信仰――グノーシス的な「ヴァジラヤーナの救済」の意思を強めるものだったと言えるのかもしれません。
社会への憎しみ・報復に、宗教を利用したのではなくて ――― もちろんオウム教祖の心理にはこういった社会への報復の要素も同時に存在したのかもしれませんが ――― どちらかというとむしろ、オウム教祖自身が実にグノーシス的な宗教家であり信仰に忠実であり、人格障害や空想虚言癖、社会への憎しみがあったとすればそれは、「ヴァジラヤーナの救済」という極端な意思・信仰を強める(かなり重大なものかもしれない)要素であったということです。
オウム教祖のパーソナリティといった一個人に根本原因があるのものではなくて、宗教・信仰 ――― とくに神秘体験・宗教的体験・グノーシスの要素の強いもの ――― に根本原因があるとするのなら、このオウムという凄惨な事象は後世への重要な教訓となるものだと思われます。
付録 「パリは燃えているか?」
この「パリは燃えているか?」というのはアドルフ・ヒトラーが発したとされる有名な言葉です。
第二次世界大戦末期の連合軍ノルマンディー上陸作戦を経て、ナチス・ドイツの敗色が濃厚になりつつあり「パリ解放」が迫った時に、ヒトラーは「パリは廃墟以外の状態で敵に渡すべきではない」として、いわゆる「パリ廃墟命令」を出しました。
その命令が実施されているかどうか確認するために、ヒトラーが陸軍上級大将アルフレート・ヨードルにいらだって叫んだのが「Brennt Paris?(パリは燃えているのか?)」です。
この「パリ廃墟命令」は事実上無視されました。
実は、こういったヒトラーの狂気の破壊命令は、自国に対しても発せられました。
ネロ指令として知られる「帝国領域における破壊作戦に関する命令」です。
“1945年の時点で東部戦線も西部戦線も戦場はドイツ国内となり、戦争は最終局面を迎えていた。3月19日に発出されたこの命令は、ドイツ国内のインフラストラクチャー、資源、産業施設等について、敵が入手する前の破壊を命じるものであった。”
“ …… ヒトラーは「戦争に負ければ国民もおしまいだ。(中略)なぜなら我が国民は弱者であることが証明され、未来はより強力な東方国家(ソ連)に属するからだ。いずれにしろ優秀な人間はすでに死んでしまったから、この戦争の後に生き残るのは劣った人間だけだろう。」と述べ、命令を撤回しなかった。……”
まさに狂気の破壊衝動です。
私は、引用・参考文献の広瀬 健一 『悔悟 オウム真理教元信徒・広瀬健一の手記』にあった以下のオウム教祖の発言を見たとき、このヒトラーの狂気を連想しました。
“ 当初、初めは、わたしはね、凡夫を救済するのがわたしの役割だろうと考えていた。しかし、近ごろわたしは心が少しずつ変わってきている。どのように変わってきているかというと、ひょっとしたら、動物化した、あるいは餓鬼化した、あるいは地獄化したこの人間社会というものの救済は不可能なのかもしれないなと。そして、じゃあどうしたらいいかというと、新しい種、つまり、今の人間よりも霊性のずっと高い種、これを残すことがわたしの役割なのかもしれないなと。…… ” ※ pp.108-109
オウム教祖というよりかは、ヒトラーにぴったりの詩が聖書・イザヤ書にはあります。イザヤ書14:12~。
「黎明の子、明けの明星」とは おそらくネブカドネザル二世(などのバビロニアの王)のことだとされています。
黎明の子 明けの明星よ
あなたは天から落ちてしまった。
もろもろの国を倒した者よ
あなたは切られて地に倒れてしまった。
あなたはさきに心のうちに言った。
「わたしは天にのぼり わたしの王座を高く神の星の上におき
北の果てなる集会の山に座し
雲の頂きにのぼり いと高き者のようになろう」
しかしあなたは陰府に落とされ 穴の奥底に入れられる。
あなたを見る者はつくづくあなたを見 あなたに目をとめて言う。
「この人は地を震わせ 国々を動かし
世界を荒野のようにし その都市をこわし
捕らえたものをその家に 放免しなかった者ではないのか」
もろもろの国の王たちは皆 尊いさまで自分の墓に眠る。
しかしあなたは忌み嫌われる月足らぬ子のように 墓の外に捨てられ
つるぎで刺し殺された者でおおわれ
踏みつけられる死体のように穴の石に下る。
あなたは自分の国を滅ぼし 自分の民を殺したために
彼らと共に葬られることはない。