ザ・ドアーズとアメリカ文学とヨーロッパの詩人。
前回と同じ様な話題ですが、ドアーズの曲を聴いた事ありますか?
ドアーズは僕が世界で一番好きなロックバンドなのです。
様々な魅力を持つドアーズですが、今回はジム・モリソンさんの歌う歌詞について考察してみたいと思います。
とは言っても実はドアーズの楽曲の作詞担当はジムだけでなく、ギタリストのロビー・クリーガーさんもいます。なのでドアーズの楽曲の歌詞全般と、アメリカ文学との関係についての考察を先ずはしてみたいと思います。
ドアーズが活躍したのは主に65年から71年。ジム・モリソンは72年に死亡しているので71年までとします。要するに60年代後半ですね。
オルダス・ハックスレーとかウイリアム・ブレイクなどに影響を受けたとされています。UCLAのインテリっぽいチョイスですね。因みにUCLAは映画科だったので同級生にはフランシス・コッポラもいたそうです。そのツテで「地獄の黙示録」ではthe end使ったんですかね?余談ですけど。
同時代的なアメリカ文学者は…特に思いつきません。というのはロックスターと文学者ではやはり文学者の方が年齢が上の場合が多く、現代でも親しまれているアメリカ文学の多くは50年代に初版のものが多いと思います。
例えば…。
「路上」「ライ麦畑でつかまえて」「裸のランチ」「怒りの葡萄」
でも正直これらの作品にドアーズが影響を受けたとはあまり思えません。
これらの作品には少なからずアメリカ独特のマッチョイズムが感じられます。しかし彼らの作品から感じられるのはもっとヨーロッパ的な何かです。
僕はアメリカ文学というよりヨーロッパの詩人たちから影響を受けていたように感じます。
ボードレール、ランボー、マラルメ、オスカー・ワイルド
ドアーズの楽曲から感じる繊細さはヨーロッパゆずりのものかも知れません。もちろん当時の世相(特にベトナム戦争)からの影響は色濃く、ブルーズ色の強いものもありますが、アメリカの他のロックバンドよりもマッチョイズムは薄いと思います。
どう思いますか?