人間の起源については、世界中で様々な神話的な物語として伝えられています。それらは、それぞれの文化や宗教の価値観、世界観を反映しており、人間の存在意義に対する深い思索を促します。
本記事では、仏教で説かれる人間の起源をご紹介し、その人間観に迫ってみたいと思います。
人間の起源につきましては、インドの仏教学者世親(ヴァスバンドゥ|Vasubandhu)によって4〜5世紀に書かれた阿毘達磨倶舍論の中に記述が見られます。
注釈1)「色界」とは仏教の法界の一つです。法界の構造については、次の記事をご覧ください。
この記述によれば、大昔は今のように肉体を持った人間はおらず、人は色界を自由に飛び回っていました。皆、均整のとれた姿形をしており、今の人間のように、業報処により生じる顔やスタイルの良し悪しはありません。喜びと楽しさが魂のすべてで命そのものでしたから、肉体のように寿命はなく、永遠に生きつづけていたのでした。
しかし、阿毘達磨倶舍論の続く部分を読んでいきますと、ある時を境に、状況は一変するのでした。
ここでは、「舐めてはいけない蜜を舐めてしまったこと」が人間という存在が生まれたきっかけと説かれているわけですが、表されているのは、欲望で衝動的に行動する魂の不完全さです。この不完全さ故、人間は次々と欲を起こし、欲が原因で他者と争うようにもなりました。そのような経緯で、人間は苦しみの多い人間世界のシステムの中、生きるようになったのです。
この世は苦海
ー苦しみの世界から逃れるために修行するのが人間に生まれる意義
この人間の起源に現れているのは、「この世は人間の欲望によって生まれた苦しみの世界である」という世界観です。仏教では、人間は煩悩によって汚れた存在と捉えているのです。
仏教は、この苦しみの世界から人間が解脱できる方法を教えるものです。具体的には、煩悩によって汚れた心を浄化することがその方法であるとしています。
仏教が心がどうあるかに重きをおき、三昧(禅)を中心とした修行を説いているのは、根底にある人間観・世界観ゆえのことなのです。