No.86|百日行願86日目(2024年10月27日)

おはようございます。

百日行願、八十六日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

昨夜、今日行われる習い事の試験を控えた二女が次のように言いました。

二女「あゝ明日緊張するなぁ(眠れない様子)」
私「そうだね、これまで頑張ってきたものね。でもさ……」
二女「なーに?」
私「明日死んでたらさ、今の不安は意味ないよね?」
二女「そっか。それもそうだね」
私「明日目覚めたら、神様に御礼言えば良いんじゃない?」
二女「わかった」

二女とのやり取り

最近、娘たちとこのような会話しかしていませんが^^

度々申しますが、私も分かっていない派ですよ。
明日のことが気になって不安にもなりますし、心配だってします。(ただ、夜眠れないというのはありませーん)

どうですかね。
明日の心配って、
『明日生きている前提で』
その上に立って心配していますよね。

この『』の部分にメスを入れてあげたら、
心配はなくなると思っているのですが……
いかがでしょうか。

いきなりは難しいでしょう。

信心筋。まさに筋トレです。
神様への命の御礼に対して「そうかなぁ」「そうだよなぁ」「でもなぁ」ぐらいの理解でも良いから、とにかく筋トレと思って毎日、毎日頭を下げては御礼を申し上げる稽古を、こちらを強くオススメします。これを洗脳と言うなら、筋トレ全部洗脳と私は言いたい!!

そうして筋トレ(信心のお稽古)を続けていったら、心が鍛えられ、『明日生きている前提』のおかしさにきづけるようになると思います。

ほんとーーーーーーーうに、明日生きている保証なんてありませんし、それが分かればこそ、裏返しの跳ね返しな感じで(ボールを強く壁に投げたら強く返ってくるように……)、今日の命の有り難さがしみじみと、わが身に強く迫ってくると思います。

そんな信心のお稽古を、始めてみませんか?

追伸:信心のお稽古はぜひお教会で!
どうぞお気軽に金光教武蔵小杉教会までお越しくださいませ。
※宗旨宗派一切問いません(あゝあの人にも伝えてみようかなと思う人が身近にいらっしゃいましたら、どうぞこの投稿を拡散して頂けますと幸いに存じます)

それから『note(ノート:ブログのようなサービス)』にも、これまでの投稿をまとめていますので、良かったらそちらもお読み頂けたら。

信心するしないの判断材料には十分かと思います。

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