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JOKER
現在、続編「ジョーカー・フォリアドゥ」が上映されている。
というのに、今更「ジョーカー(2019)」の話をしようと思う。
ジャレッド・レトのジョーカーが好き
私はバットマンシリーズが結構好きだ。
子供のころ観たティム・バートン版のバットマンは小太りのおっさんだった。そしてジョーカーはやかましいおっさんだった。
大人になってから見た、クリストファー・ノーラン版のバットマンは陰のあるイケメンで、ジョーカーはさらに陰のあるイケメンだった。
育児中、子供が寝てからこっそり見た「スーサイド・スクワッド」のジョーカーは、もっと頭おかしくてもっと危ない感じがするイケメンだった。
名だたる俳優達が演じたジョーカーはそれぞれ別の魅力を放ち、まったく異なる設定であるにも関わらず、そのどれもがバットマンのヴィランとして長年愛されている。謎にどんどん美形キャラ化しているのも、愛されているからこそなのだろう。
で、「ジョーカー」である。
話題作だったのでお噂はかねがね状態であったのだが、つい最近観た。
陰惨なストーリーらしい・・・という前評判から観る元気が無く敬遠していたのだが、最近求職期間で時間が余っていたこともあり、ついに鑑賞した。ありがとうNETFLIX。
これまでのどのジョーカーとも解釈が異なる映画だったため、実は少々面食らった。舞台はゴッサムシティだし、幼きブルース・ウェインも登場するので確かにバットマンシリーズの皮をかぶっているのだが、ジョーカーがジョーカーに変貌していく様というのが、コミックのスピンオフとは言い難いほどの絶望感を漂わせている。
単に凄惨なエピソードが語られるということでは無く、現実世界の我々が今まさに感じている不条理さとか残酷さがリアリティをもって描かれているのだ。
初見、ジョーカーの過去をこのように詳細に語られても、これまでの「ジョーカー像」と乖離しているように感じて、なんとなくはまり切れない感覚があった。『私の知ってるジョーカーじゃない』と思ったのだ。
でも鑑賞後、しばらく考えてみると、この映画はタイトルこそ「ジョーカー」だが、別にジョーカーのストーリーではないのだ。
「アーサー」の話なのだ。
冒頭、自治体の福祉サービスか何かのカウンセラーと面談しているシーンがある。一瞬、精神病院にいた時の記憶が差し込まれ、主人公が閉鎖病棟にいた過去があると示される。
そしてラスト、主人公が精神病院でカウンセラーと面談しているシーンで終わる。ジョーカーとして逮捕され、病院に入れられたのだとミスリードを誘う展開だが、わざと濁してある。
「最初からアーサーは精神病院にいた」可能性がある。
つまりこの映画で語られるジョーカーのストーリーすべてが「アーサーの妄想」なのかもしれない。
つまりアーサーの「もしも俺がジョーカーだったら」。理不尽な世界にドロップキックさながら憎悪を隠しもせず、心の中を怒りで充満させ破壊の限りを尽くし、暴力のるつぼの中で高らかに笑う‥
自分をコミックのヴィランになぞらえてする妄想。
この映画を見ている私たちもそんな空想をすることがある。普通を装って日常生活を送る私たちも、日々ストレスを溜め、抗う事のできない不条理に憤りを感じることがある。ちょっとした逸脱行為をしたくなる願望すらあるかもしれない。
拡大解釈すれば我々もアーサーであると言える。
というわけでこの作品は「ジョーカー」とタイトルにつけているが思いっきり裏切っている。アーサー=この映画を見ている私たちを描いている。DCユニバースとは全く異なるメッセージ性を持つ、とんでもなく冷徹な現実を突きつけ、我々のギリギリな精神状態と病的な社会を表現しているゴリゴリの社会派映画であった。
タイトル詐欺とも言えるかも。そういう視点でいえばあの映画と同質の裏切り方かもしれない。
劇中でも、ほんの少しのつじつまの合わなさを差し込み、何とも言えない居心地の悪さを提供してくれる。アーサーはガリガリでひょろいのにジョーカーになったとたんフィジカル強めになったりもする。それらがすべてアーサーの妄想であることを匂わせる演出だと理解すると、確かにこれは素晴らしく芸術点の高い作品であると世間の高評価に納得してしまった。
ちなみに
同じく、最近「ボーはおそれている」も観た。
こちらも主演がホアキン・フェニックスであるのと、抑圧を抱えた主人公、ストーリーの大半が夢とも現実ともつかない展開、救いがまーーーーったくないのとで、鑑賞後の余韻がジョーカーと似たものを感じた。
私は故リバー・フェニックスのファンだったのだが、いつのまにやら弟がこんなに立派になってしまって、そして何だかむさくるしくなってしまって、何とも微妙な気持ちである。
おわり