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日本人は「正義」が苦手?
結構前ですが、マイケル・サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』を読みました。
難解という評判ですが、アメリカの社会問題を具体例として紹介しつつ議論していて、とても読みやすかったです。昨年11月のアメリカ大統領選でリベラル派が惨敗した理由が透けてみえた気がしました。いゃあ、よそ様の内輪のゴタゴタは心置きなく楽しめて良いですね(悪趣味)。
ですが、正義と美徳の関係について論じ始めると…理解するのが難しかったです。何が言いたいのかなかなかピンとこない。というか、関係もなにも正義と美徳って同じようなもんじゃないの?
こういう時は、元の英文ではどんな単語で表現しているのかな?というのを調べるのが(Google翻訳に苦労して身につけた私の)定石。
正義とは?美徳とは?
本書の英語原題は「Justice : what's the right thing to do?」なので「正義」に相当する英語は「Justice」または「right」だと思っていいでしょう(原著は未確認)。
で、問題は「Justice」のもつニュアンスなのですが、これは「just+ice」なので「just」を名詞化した単語なんですね。「just」って、「ちょうどよい」とか「ぴったり」とか、なんというか「正義」に似つかわしくないなんか凡庸な単語ですよね。「justice」と「just」の関係は以下のサイトをみるとイメージがしやすいんですが、そう、「justice」ってもともとは司法にまつわる単語なんですよね。司法においては、罪に対して、罰を「ちょうどよく」「ぴったり」に決めることが「justice」であり、それが「正義」なのです。
そういえば、世界最古の法律といえば「ハンムラビ法典」と習いましたよね。
「人もし、自由人の眼を傷つけたる時には、彼自身の眼も傷つけられるべし」(第196条)
「人もし、同階級の人の歯を挫きたる時には、彼自らの歯も挫かるべし」(第200条)
いわゆる「目には目を、歯には歯を」というやつです。一見すると野蛮な復讐を推奨する法律にみえますが、これは「やられたら、やられた以上の仕返しはしてはいけないよ」という、争いの泥沼化を避けるための、画期的な仕組みであると言われています。
なので、すぐに「倍返しだ!」と言い出す半沢直樹に、「それはダメよ」というのが、ハンムラビ法典であり法であり「正義」なんですね。
「right」にも似たようなニュアンスがありそうですね。「right」は「正しい」とも訳すけれど「権利」という意味で使うことも多いですね。これも、その人に「ちょうどいい」「ぴったりの」扱いをすべき、というニュアンス。例えば著作権は、作品を生み出した著作者の苦労に「ちょうどよく」作品を守る権利を与えるもの。他人もその作品を引用はしてよくて、それに文句言う事までは著作者にもできません。
一方で「美徳」や「徳」は「good」のようですね。現代の私たちの「正義」という言葉に対する感覚って、「justice」より「good」の方が近いんじゃないでしょうか。なので、正義と美徳の関係は…と論じられても、いや同じようなもんじゃないの?と思ってしまうのかも。
日本人は「正義」が苦手!?
と、考えると「justice」により近いニュアンスの日本語ってなんなんでしょうね?なんて訳せばいいんだろ?
「公平」「平等」?
うーん、いまひとつ身近な単語でもないし、「みんな同じように扱う」という元々の「公平」よりも狭い意味に捉えられがちですよね。
『これからの「公平」の話をしよう』
…
…
…なんか、この本、売れない気がする。
それとも「ちょうどよさ」、ちょっと捻って「いい塩梅」とか?
『これからの「いい塩梅」の話をしよう』
…
…
…意味わからんな。これではFIREしてゆるゆる生きる指南本みたいだぞ。
なかなか「justice」のニュアンスを表す、「正義」みたいにエモーショナルで、身近な日本語って、ないのかもしれないですね。
言葉がなければ、思考はできない。だから、すぐに「倍返し」したくなるし、日本人は「正義」が苦手なのかもしれませんね。
…と、昨今のSNSやニュース報道をみて思ったのでした。