戦争にまつわる映画を観て/結果よりも過程を
今年の夏はついに観ました。
家族と『火垂るの墓』を。
観返したいな、できれば子供たちと、と思いつつも、節子をみると、下の娘(6歳)とかぶり過ぎてツラい、もう少し年齢が離れてから…と思って観ていませんでした。
が、あと数年すると、上の息子(8歳)が清太とかぶり過ぎてツラくなるぞ…と思って思い切って今年の夏の終戦日の近くに家族みんなで観ました。
Xでは地上波で再放送しなくなってしまったらしいそうですが、なんとAmazonでもNetflixでも配信してなくてDVDを借りてこないと観られないとは!
『火垂るの墓』は結果
Xでは「戦争の悲惨さ伝えるために『火垂るの墓』は絶対に子供たちに観せるべき」というポストが流れてましたが、(薄々知っていましたが)『火垂るの墓』は思ってた以上に反戦映画ではなかったですね。
(余談ですが、清太をみていて、社会から孤立して、追い詰められて子供を虐待してしまう母親を思い浮かべました。清太、あれだけ行動力も度胸もあるのに…人って難しい。)
それでも戦争末期の悲惨さはものすごく伝わってきました。本当はもっと悲惨で、もっと哀しい事がたくさんあったのでしょう。『火垂るの墓』を観たくらいで、わかった気になってはいけないと改めて思います。
子供たちも平和なシーンでは「ひま〜」と嘆いたりもしてましたが、それでも、特に冒頭の空襲のシーンは無言で眺めていました。特別感想を聞くことはしませんが、何か感じることがあったらいいなと思います。
それでもやっぱり私は「火垂るの墓は反戦映画ではない」という高畑勲監督の言に多いに頷くところです。私は高畑勲監督の以下の発言に多いに賛成です。
『帰ってきたヒットラー』は過程
戦争映画として今年は『帰ってきたヒットラー』も観ました。こっちは夫とふたりで。
現代にタイムスリップしてきたヒトラーが、ヒトラーによく似たモノマネ芸人として人気になっていくというコメディ映画、というフレコミでしたが、この映画こそ、高畑勲監督の言っていた「戦争がどうやって起こっていくのかについて学ぶこと」ができる反戦映画だと思いました。
いや、本当に、文句なしに面白かったです。まぁ、コメディでは、ほぼほぼなかったですけど。当時のドイツの政治情勢とか知ってたらもっと楽しめたのでしょうけど、残念です。
はじめはみんな、ヒトラー似のモノマネ芸人だと思ってケラケラ笑ってるのに、いつの間にかヒトラーに夢中になっていく。
この映画の前半は実際にドイツを周って、ドイツ市民にヒトラー役の俳優さんが「ドイツの問題は何か?」と聞いてまわった様子を撮った半ドキュメンタリーになっていたのだとか!
マジで!?
「ドイツに流入してくる外国人は、ドイツ人よりIQが低いと思う」とか言ってた人がいたけど、アレってマジなの!?
ナチスドイツというトラウマの爆心地のドイツにすら危うさを感じた映画でした。というか、私自信もヒトラーの演説にちょっとウットリしたもの。こういう人が日本にもいたら希望が持てるだろうなぁって。ヤバイ。
(またまた余談なんですが、ドイツ人って「ヒトラーにそっくり」かどうかって、みんなわかるものなんですかね?日本で言うと、「昭和天皇にそっくり」かどうかなんて…私全然わからんぞ(汗)。)
結果より過程を
私も戦争が起こった後の結果よりも、戦争に至るまでの過程を知ることが大切だと思います。
戦争や全体主義を社会の病気だと思うと、病気の末期の悲惨さよりも、要注意な初期症状がどんなかとか、病気にならないためにどんなことを心掛ければよいかとかの予防的な知識が大切だと思います。地味だけど。
『火垂るの墓』、は衝撃的ではあるけれど、今の私たちとの距離が遠すぎて、我が事のように思いにくい。(無論、『火垂るの墓』を観て「こんな未来にはするまい」という気持ちになることで、戦争に至る過程を学ぶことに繋がることはあると思うけれど、観て泣いただけではね。)
一方で、『帰ってきたヒットラー』のドイツ人には、今の私たち日本人と同じ危うさを感じました。現実に不満ばかりで、その怒りを何故かあさっての方向に向ける人たちこそ、最も危うい。その怒りを簡単に利用されてしまいそう。
正直、「『火垂るの墓』を再放送しないなんてオカシイ!」「子供にちゃんと『火垂るの墓』を観せない親はケシカラン!」とか怒ってる、あの人たちが、1番戦争の原因になりそうだなと思いました。
おまけ:それにしても戦争の結果にまつわる映画や本は子供向けも色々あるけど、戦争の過程を伝える映画や本って難しいですよね。