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松岡正剛氏追悼「部分が全体を凌駕する」

さきほど、「ヤマザキマリラジオ 松岡正剛追悼放送」を聴きました。

松岡正剛さんの著書、何冊か読ませていただいていました。
教養の浅い私でも、読んでいると、知的好奇心をくすぐられ、
ものの見方、そういう考え方があるんだ!
という発見を頂いてきました。

改めまして、ご冥福をお祈りします。

特に、「フラジャイル 弱さからの出発」はマガジンにするくらい
しっかりと読みました(・・・といっても一部理解や共感したレベルですが)

「ヤマザキマリラジオ 松岡正剛追悼放送」も
メモしながら聴き終わったので、
記録として印象に残ったフレーズなどを残しておきます。

〇松岡正剛氏は、ヤマザキマリラジオの毎年恒例ゲスト。

〇20年以上、「千夜千冊」サイトを継続

〇2023年、肺がんとなり、活動性が縮退。人に会った数も半減。

〇ヤマザキマリは、アクシデンタルな存在。死にそうな経験は多々あるが、起死回生で今も生きている。

〇アクシデンタル、思いがけないこと、は人生に必要。不条理がデフォルト。だが、現代社会は予定調和。

〇SNS世界は、選択肢を作りすぎている(by松岡氏)

〇真冬のイタリアは親族が集まるのが通常。日本でも親族に会う機会を作ったが、ひとの話題を奪うなど平気でタックルしてくるマウントの応酬を経験した。介入と混乱、干渉、中傷。イタリアは混乱を好むが、日本は介入があると引く傾向にある。(ヤマザキマリ談)

〇2023年のベストセラー「言語の本質」。日本はコンテキストの混乱に弱い。コンテクストの戦い(ディベート等)は避けている。

〇イタリアは、古いものと新しいものが同じ空間に同居している。その中で普遍性を探し求める。猜疑心、懐疑性も非常に強く、遠回りを厭わない。カノン。日本社会は、常に新しい。古いものが空間にない。

〇異質の同居⇔予定調和

〇便宜性を求めるあまり、草だけだべればいいみたいな方向になりつつある。

〇変な人、コスパがいいことなど考えない人、にしか最近会ってない(by松岡氏)

〇コスパが悪いこと、誤解を恐れる社会になっている。誤解が平気、自分と得体のしれないものの出会い、意外性、裏切り性、昨今のウクライナロシアや、イスラエル等、どちらが正しいかわからない状態への耐性。

〇しつらえる力

〇感受性をゆりうごかすことすらもコスパとしてとらえてしまう時代。生命力が落ちている。

〇バーチャル。メタバース。

〇無菌の中で生きていると人間は死ぬ。悪・毒気と生きる。人間はいかがわしいもの。人間は異様。

〇嫉妬心をよくないものをとらえることがあるが、やる気をたきつける力になることもある(byヤマザキマリ氏)

〇2023年のアート・音楽 Adoは正体をみせない。情報量が、五七五以上に短く、短い中に本質を連打する。引き算を徹底している。エコライザなどテクノロジーも駆使しながら。

〇AIとの共生も考えないといけなくなるだろう。臨界点が来てまた戻る、みたいなことが起きるかも。AIに臨機応変性とか話が飛ぶとかできるのだろうか?

〇精神問題がいずれくる。

〇昨今の政治家は、狭いところで判断している。大きいところで判断していない。here(こちら)とthere(あちら)があって、間があるという感覚を感じない。物事を模型化しすぎなのではないか。箱庭化がすすみすぎ。日本のシンクタンクが機能していない。「得体のしれない世界は存在しませんよ」と言わないといけなくなっている現代社会。全体性が強い。

〇「部分が全体を凌駕する」これこそが日本的発想

〇西田幾太郎の「絶対矛盾的自己同一」「不確実性」「カオス」

〇シャレが通じない

〇失うことを恐れる

〇教育が、一人の人間に、トータル的な完璧性を求めているのではないか。勉強ができて、スポーツができて、みたいな健康優良児。立派な人。

「部分が全体を凌駕する」

〇仏教では、「ジェンダー」のことをギトギト取り扱わない。隠す。観音様のような不思議な存在感というものがあるにもかかわらず。

〇キリスト教におけるジェンダー

〇下品であるべき

〇「ヤバい」

〇近江の人たちが最後の友達になるかもしれない。よかったら、ヤマザキマリさんも一緒に!(by松岡正剛)

〇借りた方がいい。組み合わせていい。


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