INDIE、好きな音楽のこと
音楽的な感性って本当に人それぞれ全然違って複雑なもので、言葉での説明や他人との共有が難しいなと常々思います。
私は音楽は好きですがさほど知識があるわけではなくて、テンポとか歴史でされるジャンル分けってよくわからないです。
音楽に詳しい人に、このアーティストが好きというと、じゃあこれも好きでは?と紹介された何かは、たまにハマれることもあるけど、大体はうーんこれは違う、言葉にはできないけど何かが全然違うってことも多々。
その好きなアーティストでも、この曲はすごくいい、こっちはそうでもないとか、 わりと厳密にあるけど理由が説明できない。
好きな曲はジャンル雑多で、偏りもマチマチ。
そして、そのバンドのメインの曲、「一番売れた曲」でもないことが多い。
これはなんなんだろうと長年思っていたわけですが、自分でなんとか分析してみたところ
・ジャンルは様々だが、その王道からは外れている印象
・プリミティブで粗さのある音と楽器の実験的な奏法、異質感のある組み合わせ
・アイロニー、サーカズム、シュールに寄った歌詞
・メロディーとラップを組み合わせた歌唱
こんな感じで共通点はあることに気づきました。
このような音楽をヨーロッパではINDIE、アメリカ方面ではALTERNATIVEと呼ぶようです。商業的でない、実験的な、インディーズ的、といったような楽曲をざっくり括ったカテゴリですね。
音をデータに変換してデータ転送できるようになってから、この15年くらいで音楽を取り巻く状況は劇的に変わりましたね。
曲の売買にも物理的な交換の必要がなくなり、私は主にApple musicを利用してますが、それには入っていないごくマイナーな個人のUPした音楽なんかもYoutubeやSoundCloudで探して聴いたりしてます。
もともと私が好きな何かは、何にしてもマイナーなことが多いです。音楽のライブは30人から100人くらいの観客規模で座って聴くのがちょうどいいし。好きなバンドでも、ライブの会場が大きなホールや武道館とかになるともう行かなくなっちゃいます。
中高生の頃から音楽とは、近所のライブハウスや駅や公園で演奏していた人を通して、また知った音のルーツや周辺を自分で調べることで、出会ってきました。それが今や、世界中のアマチュアミュージシャンの宅録とさえ家に居ながら出会えるなんて凄い。
いやー、良い時代になりました。
インターネット万歳。
私には学校で趣味を共有できるような友達はいなかったし、DTMどころかネットすら無かった時代ですから、ピアノとチープな楽器を使った多重録を家で1人でやって1人で聞いて(哀しくなってきた)孤独に過ごしてきたので、当時の私みたいに過大な表現欲求を抱えた人たちが、その発露と創作のモチベーションを手に入れたのも大変喜ばしいことだと思ってます。
情報化、グローバル化、色々と弊害もあるけど、こうなって良かったなと思うこともたくさんあるよね。
—
でね。
私は最近こういう頭の中だけでぐるぐるしているものを、ちゃんと言語化して発信することについて、ずっと考えてます。
仕事でも私生活でも、感覚的な、説明が難しいようなことを正しく他人に届けるためには傲慢ではいけない、地道な努力と訓練が必要だなとしみじみ思うことが多かったりして。音楽についての言語化の難しさって、私にとってはかなり衣服とブランドについて思うことと近いんです。
ので、ちょっと関係ない話をさせて下さいね。
___
私の仕事は衣服のデザインです。
個人で、リアルクローズの国内外BtoB(展示会卸)を自営もしてます。
目標は、世界中のいろんな国と地域の、コンセプトを持ったセレクトショップで自身のデザインした服を売ることです。
が、こういうことは今の時代、小規模卸のコスパ効率の悪さを理解してる同業界の人には話すと呆れられるので、普段口にはしなくなっちゃいました。
では私はいつも、人と何の話をしてるかというと....
ああ、円安と原料値上げと納期と人手不足の話ばっかりだなあ....
世知辛いねえ。
私自身もいろんな土地のショップで服を着たり買ったりするのが好きなんですけど、時間的金銭的に頻繁にはできることじゃありません。服が身体に纏うものである以上、物量と移動/輸送コストも常に、我々にベッタリついてまわる悩みのタネです。
EC写真?
着用動画?
それでその服がわかる、選べると信じてる人に、自分はそんなに求められてないと思っちゃうんですよね。
私の好きな服、作る服は、自分で触って腕を通さないと何もわからないようなデザインばかりだと思う。マスには受け入れられづらい、その分ごく少数の誰かの心には深く刺さる永遠のインディーです。
--
音や映像は今、それそのものが電波に乗って、世界中のどこにでも届くようになったことが羨ましい。
愛するインディー音楽は私にとって、自分が創るものの唯一性を理解してくれ、求めてくれる誰かが、広い世界のどこかに必ず居ることを信じさせてくれる存在なのかもしれないです。
2022.9.07.
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?