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氣持ちを置く場所を わたしが決める

"実験" という名目でnoteにいくつか自分の過去のことや今の氣持ちを文章に書いてきて、わたし自身、ちょっと分かってきたように思いました。

20年、いや30年ほど前のことまで引っ張ってきて当時の記憶や思いを言葉にしているわたしの文章は "本当はつらかった" みたいなものが多くて、見返すと正直、色々と恥ずかしいのですが…。。
これを書くのって、"詰まっていたものを外に出して軽くなりたい"…それだけじゃなくてその先があるなぁと。

8年ほど利用していたわたしのFacebookでの投稿は、
"子どもたちの成長記録と、日常の嬉しいや楽しい、ありがとうや気づき"
が、いつからか主なテーマでした。

全公開にはせず友達だけの公開で、昔からの友人や親戚(わたしの従姉妹、実父や義妹や義母の兄妹)、プレーパーク繋がりの知人たちなどなど。。
わが家を気にかけてくれる人たちや、わたしが
「この人の見えている景色や考えている事を知りたい!」
と思う人たちとの繋がりだったので、安心できる環境でした。

ありがたい事に、わたしがどんな状態や心境でいても、子どもたちといると何かしら喜びや驚きや感動は頻繁に巻き起こるので、Facebookにそれらを切り取って貼りつけて、わたし(たち家族)の幸せそうなフォトアルバムを作っていくような、そんな関わり方でした。

そして形が残ることで、落ち込んだ時にも
「大丈夫、今まで何もして来られなかったわけじゃない。みんなで笑顔でいられた時だってあったんだから。
そんなにダメな人間じゃないよ。」
と自分に声かけをする材料にして、ドーンと落ち込み過ぎずに踏みとどまるためのツールにもなっていました。

当然、今までnoteで投稿したような(義母、実父、兄への思い)内容は一切書いていません。
(というか、状況的にも絶対書けない!)
でも、例えば精神障害のことや教育のこと、親子の関わりについてのことなど、
"わたしは今こう思っています"
"こういうことに関心があって、こんな視点で見ています"
などは投稿してきました。
本当にちいさなことですが、自分の氣持ちを出すという事を少しづつしていました。

そのFacebookでの投稿を、今年の初めで辞めました。(大好きな人たちの動きは変わらずに気になるので、もっぱら拝読専門になってます^^)

以前から、子どもたちの顔写真は遠目でしか載せないようにしていましたが、娘も息子もだいぶしっかりと自分の意思を持つようになった今、子どもたちの世界での出来事やその時の想いももう、子どもたちのモノだな と感じるようになったからです。
わたしが自分の価値観だけでまとめてしまえるモノではなくなったんじゃないかなと。
何せ実名ですし、実生活で繋がっている関係の中ですから。。

そして、"子どもたちに関する投稿をするのは辞めよう" と思った時に
"いやいや、投稿を辞めるだけじゃなくて。
根本的にわたしが成長しないと、どこかのタイミングで次に進めなくなるだろうな。そしてきっとそれはもうすぐだ。"
という感覚が出てきました。
その時に浮かんだのが、今まで何となく無いことにしていた思いの数々でした。

でも、五体満足でここまで生きてこられて、過去に色々と思う事があったにしても、周りの人たちとの良い出会いもあり、食べる事に困る事もなく、今は家庭を持てていて人並みな暮らしができている。
周りから求められるまま、でも、自分でも嘘ではない氣持ちで、
「わたしは恵まれています。」
と何十回、何百回と口に出してきたのに。
今さら…。
そう。今さらそんな事を言葉にして、形にして、どうしたいのかな。
そんな思いもありました。
相変わらず、「甘え」という文字がわたしを責めてくるような感覚を覚えながらも
「違う、わたしにとって意味があるんだ」
と打ち消す氣持ちも存在していました。


実母の宗教の話は以前少し投稿もしたのですが、ちょうどとても熱心にしていた時期と被っていたので、母の意向で
・高校受験(私立.公立)
・大学受験
・就職先
まだ細かくいえば色々とありましたが、すべてその宗教にお伺いを立てて
「ここが良いですよ」
と言われたところにわたしは進んできました。
(当然、合格や内定をもらえなければ何にもならないのでみんなと同じに普通に取り組みました。)

もちろん、"わたし自身を無視されている"という葛藤はありましたが、当時は何よりも家庭の安定が最優先だったので、"それで収まるなら何でもいい"という思いでした。
兄に大変お金が掛かっていたので(医療費や、復学できるかもしれないからと大学の休学も4年間続けましたが、結局は戻れませんでした)、わたしは高卒で働きたかったのですが、母の優しさと頑なさで「四大に行かせるお金はないけど、短大は出なさい」と言われ、そのようにしました。
でも、その後にまた兄の金銭トラブルがあったので、結局短大の学費は奨学金を活用して就職後自分で返済しました。

わたしの悩みと言えば、実家のことを何度も書いてきたのですが。
それに加えて、義母が熱心に取り組んでいた宗教的な学び(正確には宗教法人では無いのです。でも同居をしていた3年間、かなりガッツリ中に入ってみた感じでは内容は実母がのめり込んでいた宗教ととても似ていました。)を、わたしの生活にかなりの熱量でぐいぐい押しつけて来られること。
それをどうするのか、結婚当初からわたしの大きな課題でした。

またなんか新しい"本当はつらかった"を持ち出してしまいました…。
でも、先に書きますが、これは今現在、だいぶ解消されています。
義母が人間関係のもつれで去年の暮れに退会したのです。

結局、また過去のモヤモヤ話になるのですが…

そこの教えとは
・妻はつつましく、主人を立てて、両親、先祖を何よりも大切に。
・子どもには手を掛けすぎず躾はきちんと。
・家族間での序列、規律を乱すな。
・嫁に出たなら一度真っ新になり、嫁ぎ先の色に染まること。
・親に対しての口ごたえはあるまじき。
・なんでも喜んで引き受け、我を捨てて明るく努めよ。
・家の中で嫁と子どもは謙虚にわきまえるべき。
…まだまだ色々とありましたが、それだけ色々言っていれば、出る杭も引っ込んだ杭もみんなダメ出しされちゃうよなぁ。。と思える内容でした。
それがしっくりくる方も、勿論いらっしゃると思います。
ただ、わたしにはそうはなりませんでした。

同居の3年の間、義母からの要望に沿って行動をともにしてみて確信が持てたのですが、
義母が言いたかったのは

とにかく親を大切にして!優しくして!
子どもより何よりわたしを1番に考えてほしい!


これが核でした。


義母のもともと持っている気質の荒さと相まって、教えに出会って10年ほどの間にもはや義母の一部になっている"それ"をわたしが拒否することは、義母自身を拒否することとぴったりと同じでした。なので、わたしが食わず嫌いをしている余地は無いことは明らかでした。

それならばひとつしかない選択肢をなるべく楽しくやってやろうと振る舞っていたら、そこの方々とは思いのほか良い関係が作れました。
実際に、お一人お一人は良い方たちだと純粋に思っていたので、(わたしは常に受け身とはいえ)その場にいても居心地は悪くなかったのです。

頻繁に朝4時起きでセミナーに参加をしたり、ちょっとした集まりの100人ほどの人たちの前で

 "教えに出会ってからのわたしの変化"

みたいなものを発表してくれないかと(断る選択肢は無いです^^; もし断ればわたしも子どもたちも義母からいつ終わるかわからない無視や不機嫌にさらされるので。。それが1番イヤなのです。)頼まれれば引き受けました。
求められるままに、笑顔と大きな声でやり過ごし、それは講師と言われている人たちからえらく褒められ、義母もご満悦でした。

義母は熱量の点で、その集団の中でも異彩を放っていましたが、ほんとうに何が功を奏するかわからないものです。
わたしは一度実母の時に経験をしているので、そういう価値観との付き合い方がなんとなく身についていました。
なので、そこの価値観に大きく傷をつけない範囲内で、周りの人たちにわたし自身の気持ちを伝えることができました。

"わたしがここに関わるのは、義母とのコミュニケーションの為です。義母にわたしのことを理解してほしいと求めるなら、先に義母を理解することから始めようと思ってここに来ています。
ここは今のわたしにとって、義母とのコミュニケーションのツールなんです"

ほとんどの方が理解をしてくれて、わたしに多くを求めずにいてくれました。
それはとても有難かったので、わたしも周りの方たちを信頼することができました。

夫と義父は義母の行動には困ると言いながらも寛容でした。
「真正面から受け取らずに、すこし斜めにして受け流すのが、母さんとやっていくコツだよ」
2人は同じようにそう言います。
義実家で一緒に暮らし、義父と夫と一緒に家業をしている義兄だけは、義母と真っ向から思い切りやり合っていますが…。
そんな義兄は変わり者扱いされがちですが、とても自分に正直で優しい人です。
一方、夫は次元を超えて優しいので…身内ならばどんな人でも結局許して包んでしまうタイプ…夫婦は凸凹ってほんとだなぁと思います。

義実家は自営業で、義母が今までたくさんの苦難をくぐり抜けてきている事は家族みんなが知っている事でした。
とても荒く激しい気質ですが、そうでなければ何十年も続けてくる事はできなかったかもしれません。
そして、とても純粋で繊細な部分を持ち合わせている事。それもまた、みんなが知っています。わたしも十分に知っています。
義母の作る料理には、どう見たって愛情が溢れています。
子どもたちにとって、世界でたった2人しかいないうちの、大切な1人のおばあちゃんです。

快と不快。善と悪。利他と利己。
あっちとこっちと感情が引っ張り合うようで、もうずいぶん長い間、この歳になるまでわたしは自分の氣持ちの置き場に困っていたみたいです。

"何となくのタイミング" といえばそんな氣もしますが、自分でもよくわからないあやふやさを "実験" という名のもとにぽちぽちと言葉にする事を選んだのは、一種の望みだったのかなと思います。
(本当は"覚悟"って言いたいけど、まだ逃げ腰でいるなぁ…)
今までよりも、自分の頭で考えたり想いを巡らせながら、その時に生まれる氣持ちを置く場所は、自分で決めていきたいというそんな望み。

わたしが妊娠して退職をしたとき。
これまた恥ずかしながらですが、子どもの誕生に対して、
"「お母さん」と、誰と比べるでもなくわたしだけを求めてくれる存在がこの世に生まれてきてくれるんだ。"
という、どう表現すればいいのか分からないですが、愛なのか依存なのか、紙一重のような感情を持っていました。
そんな母親でしたが、子どもたちはスクスクと大きくなってくれて、本当にしあわせをいっぱいに運んできてくれるし、また、目の前でどんどん生み出してくれました。

これからはわたしの中に愛を増やしていきたい。わたし自身の氣持ちをはっきりと感じながら、喜んだり悩んだりして進んでいきたい。
noteでは本当に素敵な記事にたくさん会えることに驚きます。
正直で瑞々しい記事。そんな記事に触れて、自分の氣持ちも力を貰えます。
その変化がまた嬉しい。

昨日はまた、月一の臨床心理士さんとの面談でした。
心理士さんと出会ったのは、近くにある"子育て支援センター"の保育士の先生からの紹介でした。
同居の時に子どもたちをよく遊びに連れて行っていた際に、自分の話をしようとすると涙が溢れてしまうわたしを氣にかけてくれ、心理士さんと繋いでくれました。

前回わたしが
「おすすめの本があれば教えてもらいたいです」
とお願いしたら、一冊持ってきていただけて、
「お貸ししますよ。ゆっくり読んでみてもらえたら。もう、miyaさんがやってきたよなって思うようなこともたくさん書いてありますよ」
といって渡してくれました。

それにしてもこの本、帯を見るだけで興味が湧きます…

『悩みは必ずどこかに収まりたがっている』

1週間ほど前から内容を書いたり消したりしていたこの投稿のタイトルとちょっと似ているような氣がするのは…氣のせいかな。
今日は雨が降っているし、ゆっくり読ませてもらおうと思います。

ごくごく余談ですが、再来週からわたしも社会復帰をします。
ぼちぼち頑張りたいなと思っています^^

今回も相当長々と書いてしまいました。。
ここまで読んでくださった方、貴重なお時間をありがとうございます。

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