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『ティモシー・アーチャーの転生』フィリップ・K・ディックを読む―甲南読書会vol.13


読書会概要

甲南読書会vol.13 フィリップ・K・ディック『ティモシー・アーチャーの転生』
開催日時:2024/01/22 16:30~
開催場所:甲南大学iCommons
参加者:11名(院生3名/学部生4名/教職員2名/学外2名)

読書会のチラシ

あらすじ

ジョン・レノンが死んだ日、ラジオからはビートルズの曲がずっと流れていた……。その日、エンジェルは、かつての友人たちを悲しみとともに回想する。死海砂漠で遭難して死んだ義父ティモシー・アーチャー主教。精神の安定を失い自殺した義父の愛人キルスティン。父への劣等感とキルスティンへの欲望に耐え切れず自ら死を選んだ夫のジェフ。絶望の70年代に決別を告げる〈ヴァリス〉三部作完結篇にして鬼才の遺作・新訳版。
(裏表紙より引用)

読書会の記録

感想

【形式】

・新訳における登場人物の語尾は「〜わ。」「〜よ。」がむしろ70年代感を増した。
→新訳でこの表現を残す判断をすることで、新たなディックの読者にも当時の雰囲気や作品のスタイルを伝えやすくなる。

【この物語の主題とは何か?】

・わからなかった。何が言いたいのかわからない。
・通説を概観してでさえ神学の議論が知り得ない。神学や真理を追い求めるがゆえにわからなくなる、空転するその苦悩を描いたのでは?
・あらかたは多くの人物を亡くしてさえ生きる物語。そこにプラスで唯名論と実在論の話(普遍論争)の葛藤を描いた話ではないか。

【人物像について】

・神学の議論に捉われるべきではない。エンジェルはなぜティムに固執したのかわからない。+ティムがモテる要因がわからない。掴めない。
・エンジェルは目に映るものだけを信じる理性的な人物でもなんでエンジェルは空転するティムを求めるのか。
・エンジェルの人物像がつかめない。

【時代背景・モデルについて】

・バークレーのラスプーチンミュージックというレコード屋がモデル。
・バークレー周辺では大麻などが流行、ティムをはじめとする大麻のある環境はそれが影響しているのかもしれない。
・キリスト教圏の宗教家間では、かなり強い繋がりがある。→9.11以降に出現した宗教家、それが求められた背景を考えるとその影響力がわかる(不安になった人々がどれだけ宗教を求めるか、キリスト教圏でのその重要性を示唆)

【印象的な場面について】

・ティムが転生した後、ビルがビルの声を通してでしか伝えなかった。
→これに対してティム本人の声を執拗に求めたことから、声の重要性を示唆。
・パンやワインが頻繁に描かれるのに対し、ティムはコーラのみを持って行ったことから、食べることの重要性、即物的な物体の重要性があるのではないか。

人物像の考察

【エンジェルについて】

・なぜエルサレムに行く決心ができたのに、いざ聞かれると否定したのか。その場その場の判断に委ねる人間
・ティムとのタイミングが悪い。→一種の乙女心による主張の変更
→【イスラエルへ】に続く
・ディックは即物的なエンジェルに救いを求めたのではないだろうか。その意味(キリスト教的な意味)で「エンジェル」という名前である。

【ティムについて】

・人の話を聞かない、見ない。自分の話を聖書などの引用で話す。
→エンジェルの話を無視するのはエンジェルの言葉の中にティムが思う真実が含まれていないのではないだろうか。

【キルスティンについて】

・可愛らしい、一番人間味あった。
・あまりにも男性作家が思う女性の嫉妬の像である
・他人に尽くせる性格

【ビルについて】

・ディックの投影した人物
→精神分裂症とディックの状態を重ね合わせるのは少し違う
・ビルの中にティムはいるのか
→ビルという抽象的な概念に具体的なことで返す人物が急にありもしないことを言うのはティムがいるのではないだろうか。ティムがいる強い証拠。
・しかしティムにビルがいると言うことを認めると、キルスティンやジェフの自殺を認めてしまうことになる。物語の進行上、ティム以外の人物は断固としてティムの天性を認めない方がいい。

読み方・背景の考察

【文化的背景】

・キリスト教圏でない私たちがこの小説を読むとき、「理解でいない部分」があるかもしれない。p.365における「解決策」を求めるように、個々人の生き方を主張する側面はそうした「理解できない部分」なのではないだろうか。
・文化的な背景に合わせて議論するならば、ビートルズとのリンクが著しく感じれられる。衛藤公雄(民族音楽としての箏)キッス・クイーンへのシフト転換は80年代への希望。キリスト教の否定ではない。自分の転換点を描いた小説
・序文はエンジェルよりもティムに向けた物である(?)

【物語の終盤について・イスラエルへ】

・バークレーという土地を考えると、エンジェルの決断はすごいことだった。(バークレーという都市に一度身を置いてしまうと、その快適さから抜け出すことができなくなる)
・エンジェルはイスラエルへ行くことを決心したが、ティムに聞かれた瞬間「なんですって」と言ってしまう。←これどう言うこと?おそらくエンジェルのタイミングとティムの意向はずれてしまっている。
・ティムの言葉で左右されてしまうエンジェルは、ここでティムに対するけじめをつけたかったのか…
・エンジェルのティムの言葉とそれらを徹底的に排除する考えの間で揺れ動く姿。
→ディックの姿なのではないだろうか。

議事録後書き

 今回読書会で扱った『ティモシー・アーチャーの転生』はフィリップ・K・ディックの最後の遺作として位置付けられているものである。また本書は〈ヴァリス〉三部作と呼ばれるシリーズの最後の作品である。前二作品が神学や哲学の議論を重視するのに対し、本作ではそれらの議論を続けながらも最終的に退けられる対象となる。その構造は本書がいかにディックの意向の転換を写しとっているかを物語っている。時代背景を踏まえるならば、アメリカの混沌に満ちた70年代を抜け出し、光に満ちた80年代へと希望を託すようにこの物語はできている。しかしそこではオーソドックスなSF的な要素は見つからない。私たちはディックというSFの巨匠が最後の遺作で書いた物語をどのように読めばいいのだろうか。おそらく単なるSFとして受け取ってはいけないことは確かだろう。2015年の新訳を手に取った私たちは、21世紀という時代からこの物語を読まなければならない。その簡単な手引きと一般的な感想や意見をここで示したつもりである。この記事でSFの古典をわざわざ手に取る機会ができれば幸いである。

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