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8月日記|美しい、瞬間は。


■春の日のメロディー

ポストを開けると、夜空色の封筒が入っていた。見覚えのあるその封筒。受け取るのは2回目だ。

中身はわかっていた。だからこそちゃんと落ち着いたときにこそ開封したいと思っていたら、数日が経っていた。静かな部屋の中で一人そっと封を開ける。中に入っていたのは、数枚のモノクロ写真と折りたたまれたメッセージ。私は一瞬で「あの日」に戻っていった。

* * *

春の昼下がり。窓から明るい日差しが降り注ぐなか、長テーブルを囲んで、それぞれが思い思いに食事と会話を楽しんでいる。昔馴染みの人もいれば、初対面同士の人もいる。遊び場で笑い転げる子供たち。それを見守る親たち。美しい白髪が、過ごしてきた歳月の積み重ねを思わせる人々。


皆がくつろいだ空気のなか、新婦とその友人たちが会場前方に進み出る。オーケストラを通じて知り合った彼女たち。「結婚式で曲を披露する」ということは親友である新婦Yから聞かされていたものの、曲名は当日までのお楽しみだった。歓談のざわめきがだんだんと静まり、耳馴染みのあるメロディーがそっと会場に流れ始める。

「あ、これ」

思わず声を漏らしそうになる。曲は『人生のメリーゴーランド』。それは数年前、先輩の結婚式で新郎新婦からのリクエストでご友人がピアノで披露していたのとまさに同じ曲だった。先輩とYはまったく面識がない。それなのに、個人的にとても親しくしている2人の人生の晴れ舞台で、全く同じ曲が演奏されるとは。

考えてみれば2人はよく似ている。情が深く、自分自身にとても正直で、たまに不器用。人生を酸いも甘いもすべて受け止め、愉しんでいる。だからこそ、『人生のメリーゴーランド』という曲を選ぶのだろう。

かれこれ10年来の付き合いになるYとは相性がいいからこそ親友なのだが、ケンカもよくした。人とケンカすることを極端に怖がる私にとって、ケンカと仲直りを繰り返した実績のあるYは、これからまたケンカしてもきっと仲直りできると信じられる数少ない存在だ。

そんな彼女の人生のパートナーであるところの新郎については、2人が付き合い始めた頃からあれこれとYの本音を聞いていた。光栄なことに、Yの友人として新郎に初めて会ったのは私だった。2人が入籍するまでも、それからしばらく経って式を挙げるまでも2人とはよく遊んだ。話の合う遊び仲間が増えたことは素直にうれしかった。今年訪ねた豊島美術館のことを教えてくれたのも2人だ。

今日の式もどこまでも2人らしい。主役は自分たちではなく、集まってくれたすべての人たち。クリエイティブな仕事を手がける2人だけあって、コンセプト決めから式全体の設計までさりげなくこだわり抜かれている。

老若男女や立場を問わず、自分たちの人生に関わってくれた皆が楽しめるような式。子どもも退屈せず、親も周りに恐縮せず、人生の色々なステージの人々がリラックスして過ごせる空間。その空間を新婦と友人たちの弦楽器が奏でる『人生のメリーゴーランド』が満たしている。

新郎の方をこっそり見ると、事前リハーサルで聴き慣れていたのか、視線はしっかり演奏者たちに向けつつも、ここぞとばかり食事とお酒を頬張っている。式が終わったら絶対にいじってやろう、と心の中で微笑む。

人生の、メリーゴーランド。木馬は浮いたり沈んだりしながら回転していく。とどまることはなく、流転し続ける。人生そのもの。Yと初めて出会った頃は、こんなにも人生のいろいろな時間を過ごすことになるとは思わなかった。

式のあいだ、参列したいろいろな方と言葉を交わした。Yのご両親や同僚、友人、新郎のご親戚や友人たち。今日この場所に集った人とまた会うこともあれば、今日限りの場合もあるだろう。人生はどうなるか誰にもわからない。

■「美しい瞬間」を呼び戻すもの

式のあと、2人の自宅に招かれた。前々から、「式のあとに手伝ってほしいことがある」と言われていたのだ。それは式後に参列者に送るギフトの相談だった。そう、冒頭で書いた夜空色の封筒の中身だ。

大切な人たちから人生の大事な相談を受けることほどうれしいことはない。自分の得意なことは、こういうことのために発揮したいとつくづく思う。2人の愛猫をなでながら、試作品を作りつつ、ああでもない、こうでもないと意見を交わす。

「コンセプトがこれなら、この配置で…」
「どれとどれ組み合わせる?こういう風だと開いたときうれしいかな…」
「ていうか○○さん(新郎)、Yの演奏中めっちゃごはん食べてましたよね?」
「リハで聴いてたからさぁ…」

そうして完成したのが冒頭のギフトセットだった。とはいえ私自身最終形は見ていなかったので、開封するときはドキドキした。

懐かしいあの日の瞬間を閉じ込めた写真と、胸の奥がきゅっと震えるような言葉たち。作り手側でもある分、あの日の主役だった他の参列者の方々にも同じような気持ちになってもらえたらと心から願った。

おそらく願いは叶うだろう。2人がどれだけ周囲の人を大事にしているかは、あの日を一緒に過ごした誰の目にも明らかだった。

日々は慌ただしい。美しい瞬間は本当に一瞬で過ぎ去り、私たちはそれを見逃してしまうこともある。それでも、あのギフトセットを見るたび、あるいは『人生のメリーゴーランド』をどこかで聴くたび、その一瞬が蘇るようであってほしい。

■独占という贅沢

こんな風に書いてきたけれど、もちろん私は全てをここに書き記してはいない。

最近、インターネットで様々な「美しい話」を見かける。飛行機で一緒になった高齢女性に、彼女の夢だったファーストクラスの席を譲った若者の話、ホスピスで余命わずかの女性の下に、サプライズで彼女の愛馬を連れてゆく話、亡くなった父親が遺した、胸に迫る手紙の話。SNSの発達のおかげだろう。世界中に散らばっていた美しい瞬間に、ワンクリックで立ち会えるようになった。私はその進化に、心から感謝している。そして同時に、こうも思うのだ。

こんなに美しい話を、気前よく私たちに分け与えてくれなくていいのに。

それはあなたの、あなただけの美しい瞬間ではないのか。

私は、ケチなのかもしれない。この美しい瞬間のことは、きっと書くべきだ、皆に知ってもらうべきだ、そう思う心のどこかで、強く「教えたくない」と思っていた。本当に、本当に美しい瞬間は、私だけのものにしたい。誰にも教えたくない。こんなにこの文章を読んで欲しいと願った「あなた」にもだ。

私は、私に起こった美しい瞬間を、私だけのものにして、死にたい。いつか棺を覗き込んでくれたあなたが、いつか私の訃報をどこかで知るあなたが、そして、私の死に全く関与せずにどこかで生きるあなたが知らない、私だけの美しさを孕んで、私は焼かれるのだ。

西加奈子『くもをさがす』

「シェア」がより容易になった今だからこそ、自分自身が文章を紡ぐことを生業にしているからこそ思う。私だけのもの、「私たち」だけのもの、「あなた」だけのものも大事にしたいと。

同じ空間で同じ時を過ごしていても、一人一人のなかにその人だけの、その人しか知らないものがある。それは、誰かと共有できるものと同じくらい、美しいのだ。

−−Yと新郎、あの日参列したすべての方に感謝を。

(終)


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小波 季世|Kise Konami
ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。