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4月日記|瀬戸内、生まれなおしの島


■穢された豊かさ。そしていま。

「天井が二か所、大きくまるくくり抜かれていて、俺が行ったときは晴れてたから光が降り注いでたけど、雨の日は水が降り注ぐわけで、それはそれで見てみたいからさ、あした雨だったらまた来よう、なんて思ったんだけど、降らなかった」

江國香織『シェニール織とか黄肉のメロンとか』

1日1日の密度が、それまでの1年をぐらぐらと煮詰めたくらいに濃かった4月。旅に出た。

成田空港から飛行機で西日本へ。初めて降り立った土地や懐かしい土地を歴訪した数日間。最後に訪れたのは、香川県は豊島てしまにある豊島美術館だった。

訪問の数週間前に読んでいた冒頭の小説にも登場するこの美術館。私がその存在を知ったのは、元々は親友夫婦に勧められてのこと。いつかは行きたいと思っていたその場所が小説に登場した瞬間、旅の最終目的地は決まった。

瀬戸内海沿いの道を車でひた走り、港からフェリーに乗り島へ。出発する港は岡山県内なのに、行き着く先は香川県。境界線なんてものは結局、人間が勝手に決めたものに過ぎない。そんなことをぼんやり思いつつ、旅の疲れが出たのか、フェリーに乗るやいなやすぐに眠り込んでしまった。

1時間もかからずに島に着く。フェリーは次なる目的地・小豆島を目指して去っていった。黄砂で遠方は霞んで見えるも、雲ひとつない青空が広がる。透明から深い青へとグラデーションを作って砂浜に打ち寄せる波。色とりどりの緑が競演する春の山々。のどかを絵に描いたような島だ。

この島はかつて、廃油をはじめとする産業廃棄物の不法投棄に長年悩まされ、「ゴミの島」として扱われてきた。子どもたちの健康被害も起きるなか、行政に対して住民たちが声を上げ続け、原状復帰への道を勝ち取ったからこそ今があることを、観光客のほとんどは知るよしもないかもしれない。

■人びとを透明にする空間

豊島・唐櫃からと港から丘の上の美術館までは歩いて20分ほど。山間やまあいの道のそこかしこでウグイスがさえずっている。よくよく耳を澄ますと、「ホーホケキョキョ!」だったり「ホホホホホ…ホーホーケキョ!」だったりと個性が出ているのが微笑ましい。ウグイスの世界でも地域や年ごとに流行りがあるのかもしれない。私は東京でウグイスの声を耳にしたことはあっただろうか。

豊島美術館は予約制。予約の時間に揃った訪問客とともに、スタッフの説明を受ける。半分以上は海外からの訪問客のようだった。英語やスペイン語、中国語、韓国語が飛び交う。

この美術館にこまごまとした展示物はない。人々は美術館の空間そのものを味わいに世界各地から訪れる。「母型」と呼ばれる丸みを帯びたそれは、柱が一本もない広々としたコンクリート造り。天井の二ヶ所は丸く切り抜かれ、外の空間とつながっている。風や陽光や音が自在に出入りし、床からは時折水滴があふれ出る。構造がそうさせるのだろう、わずかな声も大きく反響するその場所では、老若男女誰もが声をひそめる、あるいは言葉を発することを忘れるほどだ。

ありとあらゆる角度から空間を眺めたあと、冷たいコンクリートの上に腰をおろす。開口部から降り注ぐ4月の陽差し。その「窓」にはじからはじまでゆるく張り渡された透明に近いテープのおかげで、風も可視化される。ただ黙ってじっとしていると、自分と外の世界の境界がどんどん曖昧になり、まるで自分が透明になっていくような感覚を覚える。

陽差しと風があまりにも気持ちいいので、そのまま床に寝転んでみた。目をつむり、ただ耳を澄ます。風が木々の葉を揺らす音、鳥の声、人々がそっと動くときの衣擦れ。波の音さえも聞こえそうな気がしてくる。だんだんと時間の感覚もわからなくなる。自分は今、はたして現代にいるのか、あるいは数千年前にタイムスリップしているのか。

どのくらいそこにいたのかはわからない。ぼーっとした感覚のまま、「母型」から出る。外部と繋がっているとはいえ、少し薄暗い空間から春の陽差しあふれる青空のもとに出ると、まぶしさと共にめまいに似た感覚を覚えた。まるで生まれなおしたような感覚は、つくり手の内藤礼氏・西沢立衛氏の意図したところなのだろう。

■根源、原始、あるいは。

幼いときから文章ばかりに触れてきた私は、ここ数年、文章以外のもののもつ表現力に圧倒されてきた。それは音楽や絵画や舞台演劇や建造物であったりする。映画『BLUE GIANT』で音楽に完全に「もっていかれる」感覚を味わったのは、ちょうど1年前の今頃のことだ。この1年ほどは、建物や街並みといった何らかの空間を目当てにどこかを訪れることも多い。

「母型」のなかで思い出した風景がある。10年ほど前、沖縄旅行の道すがら目にした亀甲墓。大きな家のようなサイズの空間の上に、文字通り亀の甲羅のような屋根を冠した墓だ。地元のタクシー運転手さんが「あれは女の人の子宮なんですよ。子宮から生まれて、死んだらそこに還る。そういう考え」と教えてくれた。

普段の私は、東京であまりにも高度に技術化されたもの––数分ごとに運行する電車、高層ビルのなかを瞬く間に昇降するエレベーター、スマホ、ネットの類––に囲まれて暮らしている。そんななか、自分も含めた生き物というものが生殖のいとなみを経て誕生し、生き、そして死んでいくという至極プリミティブなことを意識することは少なくなっていた。本来、それがすべてであるはずなのに。

ミュージアムショップでポストカードを買い、カフェで休憩しながら綴るメッセージを考える。旅先から親しい人や自分宛にポストカードを送るのは、大学の同級生に教わった旅の愉しみ方のひとつだ。みやげものとしてかさばることもない。

何を書こうかしばらく悩む。今日、ここに来るまでの経緯?この美術館で感じたこと?あるいは旅を終えた自分への応援メッセージ?どれも違うような気がする。「母型」のなかで得た、日常のなかでたまりにたまったおりを出し切ったような感覚を思い出す。その感覚を逃さないよう、慎重につかまえ、紙の上にペンを走らせる。これでよし。島内の郵便ポストにカードを投函し、私は島を去った。

■湧き出た言葉

東京に戻って数日。豊島で空っぽになったはずの脳みそは、瞬く間に雑多な情報で埋め尽くされていた。旅の荷ほどきと片づけ、翌週までに提出しなければならない書類の準備、次月以降の予定の調整…。日常に帰ってきた喜びはもちろんある。ただ、旅のなかで出会ったいろいろな瞬間を反芻するくらいの時間はほしい。すべては自分のスケジューリングの甘さが原因なのだけれど。

だからこそ「旅先から日常の自分にポストカードを送る」というのは良い仕組みだと思う。郵便受けを開くと、旅の最中にいる自分からメッセージが届いているというのは。

豊島にいた自分からのメッセージはシンプルだった。たったひと言。

「Viva La Vida.」

スペイン語で「Long Live Life(人生万歳)」あるいは「Live Your Life(自分の人生を生きる)」を意味する言葉だ。画家フリーダ・カーロの作品にもこの言葉をタイトルにしたものがある。大学の第二外国語として学んだスペイン語は悲しいかな、ほとんど忘れてしまったが、このフレーズだけはずっと覚えていた。

豊島にいた私が、「人生万歳」あるいは「自分の人生を生きる」どちらの意味でこの言葉を綴ったのかは自分でもわからない。ただ、ほとんど空っぽになった自らの内から湧き出た言葉はそれだった。

(終)



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小波 季世|Kise Konami
ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。