ほんとうに言いたかったことはなに?
ネットで「絶滅してほしい生物図鑑」の記事を見た。
傘を横向きに持って、前後に振って歩く翼竜、『カサウシロフルス』を始め、作者の氏田雄介さんが、ネガティブなテーマを元に作ったキャラクター6種類が紹介されている。
氏田さんは「絶滅してほしい生物図鑑」を作ろうと思ったきっかけについてこう語る。
平成から令和に変わる時代の節目だったこともあり、「こんな考え方や慣習は平成に置いていきたかったな……」と考えることが最近多くなりました。そこで、そんな「過去のもの」にしたい考え方や慣習を「古代生物」に喩えてみました。
この「絶滅してほしい生物図鑑」の中で私がもっとも共感したのは、『シュゴデカウルス』。どんな生き物かというと?
「男という生き物は……」「女はみんな……」など、話の主語がでかすぎる恐竜。
いるいる、こういう人。というか私も結構な頻度でシュゴデカウルスになっている…!!
税金やら年金やらの役所関連の手続きの難しさに疲弊しては、「お役所め〜…!泣」と『行政』全般をひとくくりにして心の中で叫び、恋愛でドタバタした後には、「男ってほんともう…!怒」と男性全般をまとめて怒り、外国人観光客に日本が人気!みたいな番組を観ては、『外国人』って『日本』がすきなんだなぁと安易に思ったりする。
これってよく考えたらものすごく怖いことだ。『役所』といっても、2019年6月11日時点で日本全国の市町村数は1,724。その中にもいろんな課や係がある訳で、少なくとも1,724通りの『役所』がある。『男性』に至っては、2018年12月1日現在、日本にいる男性の数は 約6,153万人。『外国人』と一口に言っても、アジア、ヨーロッパ、北米、南米、オセアニア、アフリカと多種多様だし、『日本』という大枠の中にも北は北海道、南は沖縄に至るまで47都道府県が存在し、観光名所にしろ食にしろ、結構なバラエティーがある。
そういういろいろなディーテイルをほったらかして、「大きな主語」で語り、分かっているつもりで話したり、考えを進めていったりすること。これはものすごく怖い。「大きな主語」は、自分のほんとうに言いかったことを表現してはくれない。
私がほんとうに表現したかったのは、『役所』の話に関しては「先日、A市役所に住民税の相談にいった。住民税には減免という制度があるらしく、詳細は市町村ごとに違うとのこと。私はそれを知らなかった。その制度に申請するための書類をその時は持っていなかったので、また申請に行く必要があり、億劫だなと思った」ということ。つまり、
▼『A市役所』で、
▼『住民税』、さらには『住民税の減免制度』の手続きの必要があり、
▼私はそれまでそれを知らず、
▼その『手続きのために再度A市役所に行く』ことが煩わしいと思った
という出来事があったということ。
それまでは、「『お役所』め〜…!」と「大きな主語」を使って、『お役所』に関わるものすべてを悪者にして、思考停止していたのだ。人というのは不思議なもので、思ったことが後々まで自分にとっての事実として残ってしまうことがある。客観的に見たら事実でないことでさえも。俗に言う、思い込みだ。
今回の件で言えば、税金が減額されるなんて、私としてはすごく助かる。うれしいくらいだ。でも、「制度を知らなかったこと」、「詳細が役所ごとに違うこと」、「もう一度手続きに行く必要があること」などを一緒くたにしたネガティブな印象ばかりが『お役所』という大きな主語にくっついてしまっていた。
大きな主語には気をつけなさい。
大きな主語は便利で、分かったつもりになってしまうから。
大学の恩師に言われた言葉。「大きな主語」は確かに便利だ。自分の言いたいことをなんとなく内包してくれる安心感がある。でも「大きな主語」が内包するものは果てしない。『男性A』というたった1人を表現するために「男は…」なんて言い始めたら、日本だけで6,000万人を超える人が対象になってしまう。それはほんとうに私が表現したかったことではないはずなのに。
忙しかったり気持ちが乱れていると、ついつい私たちは便利なもの・使いやすいものに飛びつきがちだ。モノでも言葉でも。でも、ちょっとだけ一呼吸して考えてみてほしい。
あなたが、わたしが、ほんとうに言いたかったことはなに?
<参考>