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7月日記|Relish【動】〔食べものや経験を〕味わうこと


■過去からの贈りもの

7月某日、大学の先生からメッセージが届く。今年ゲストとして大学1年生向けの授業にお邪魔した。その受講生の提出課題についてのお知らせだった。

提出課題は、それぞれの学生が趣向を凝らした短い動画形式でまとめられていた。数ヶ月前、授業で私が話したこととリンクするような内容もいくつかある。技術的には荒削りでも、圧倒的な素直さで胸のど真ん中に飛び込んでくる言葉や表現。目の奥が熱くなって、思わずまばたきした。

小手先の技術は、圧倒的な素直さの前にはひれ伏すしかない。美辞麗句もそうだ。言葉は人を救い、そして殺す。それくらい強いものだけれど、言葉では語り尽くせないもの、表現できないものも文字通りある。授業から数カ月後、こんな形で「贈りもの」をもらえるなんて、思ってもみなかった。

■「配慮・・はするけど、遠慮・・はしない」

授業で自由に話す機会をいただいたとき、私は何を話そうか悩んだ。大学に在籍していたのはもう10年以上昔のこと。当時と今では、状況も大きく違う。コロナで「普通の高校生活」を奪われて大学進学した学生たち。普通、いわばスタンダードなんてこの世のどこにもないものだとわかってはいても、学校にも行けない、学校に行っても同級生とろくに会話もできない、マスクでお互いの顔すらよくわからない、修学旅行にも行けない高校生活は明らかに「普通」ではない。

奇しくも私自身、「普通」とはちょっと違う学生学時代だった。大学2年生の春休み、3年生に進学する前の3月に仙台のキャンパスで東日本大震災を経験した。大学はもちろん、街も機能停止した。大勢の人が亡くなった。「被災地の学生」ということで、いろんな意味で特別扱いされたり、色眼鏡で見られたりすることもあった。そんな中でもサークル仲間と花見や飲み会をしたり、論文をひいひい言いながら書いたりという、「なんでもないこと」が楽しかったし、大変だった。

だから、何か特別に「遠慮」した内容にするのはやめた。

配慮・・はするけど、遠慮・・はしない。そんなの失礼だ」

かつて、子育て中の人も含めたチームで働いていたとき、当時の上司はそう言っていた。上司側で勝手にメンバーの状況に遠慮して、責任ある仕事を任せないのは違う、というスタンスだった。

「こんなことを言ったら誰か傷つけるんじゃないか」だとか「自慢に聞こえるんじゃないか(つまりは、自分がよく思われないのがイヤという裏返し)」だとか。変に遠慮し過ぎず、まっすぐにシンプルに、いま20歳前後のひとに、あるいはいま自分が20歳前後だったら何を伝えたいか。ただそれだけを考えた。

■誰かのしあわせ≠自分のしあわせ

いくつか伝えたことはあるけれど、その真ん中にあったのは「何があっても自分の人生は自分のもの」というメッセージだった。

コロナや災害、金融危機といった多くの人に共通の状況もあれば、それぞれの家庭や個人特有の状況もある。時に私たちの人生は周りに激しく翻弄される。自分の尊厳や自由を踏みにじられるような体験を、誰しも一度くらいはしたことがあるだろう。自分にはどうしようもない理由で理不尽な扱いを受けたり、自分にはないものを当たり前のように持っている人に打ちのめされたり。

子どもの頃、世界はもっと秩序だった場所だと思っていた。けれど、現実の世界は混沌としていて、白か黒かで片づけられないことの方がずっと多い。世界や誰かを恨むことは簡単だけど、世界や誰かが自分の人生に責任を持ってくれることはない。「誰かのしあわせ」と「自分のしあわせ」もイコールではない。

「高級車や立派な家がほしい人もいる。そのためにお金を稼ぐ人もいる。そういう人生もあるわね。ただ私は学びたかったの。だから博士号に時間とお金を費やした。後悔してないわ」

大学時代、単身赴任のような形で教鞭をとっていたアメリカ人の恩師とよく研究室でお茶をした。彼女が人生を振り返ってそう話してくれたのは、キャンパスに落ち葉か雪が舞う季節だったように思う。私が休学を決めたのも、彼女の後押しが大きかった。

「Don't let fate control your life. Control fate on your own.」
(運命にあなたの人生を支配させちゃダメ。あなた自身が運命をコントロールする側になるのよ。)

私の休学を「就職浪人」と呼ぶ人もいた。結果的にそういう部分もあったにせよ、自分の人生にとっては不可欠な時間だった。きっと死ぬ間際でも自信を持ってそう言える。

学生時代、学費や生活費は奨学金とアルバイト代でまかなっていた。奨学金の返済は今でも続いている。当時は、親にお金を払ってもらえる人たちがうらやましくてしょうがなかった。ただ、お金の面も含めて、自分の人生の決断とその結果を自分で引き受けざるを得ない環境というのは、同時に私を強くもしてくれた。授業料免除の申請が却下されたある日、キャンパスの片隅で不安いっぱいで泣いていた18歳の自分に「大丈夫だよ、なんとかなるよ」と今なら言える。

あの授業に参加していた受講生たちひとりひとりの事情はわからない。望んでその大学に来た人もいれば、望まない選択だった人もいるかもしれない。自分ひとりの力ではどうしようもない出来事もこれからたくさん起こるだろう。だからこそ、人に頼ったり頼られたりしながら人生を愉しんでほしい。人生は思ったより長くて、短いものだから。

(終)



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小波 季世|Kise Konami
ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。