飛び立とう、国内外の「異国」へ
■映画「君の名は。」
映画「君の名は。」を観たことのある人は少なくないだろう。直接観たことはなくとも、タイトルくらいは知っているのではないだろうか。「トウキョウ」で暮らす男子高校生と、「ド田舎」で暮らす女子高校生の、夢を通じた入れ替わりの物語。
エンディングがどうなるかは観てのお楽しみといったところだが、わたしの夢は、「海外留学」だけではなく、「君の名は。」のようないわば「国内留学」を通じて、より多くの人に実写版「君の名は。」の主人公になってもらうこと。そして、「ここ」以外の場所もある、「ここ」で生きる道もある。そういう風に思ってもらうことだ。
■そもそも「留学」って?
唐突かもしれないが、「留学」というと、どんなイメージだろうか。海外で英語やその他の言語・文化にどっぷり浸かりながら暮らすことを思い浮かべるだろうか。
基本的に、「留学」とは「異国」に留まり、学ぶことを指すらしい。
「留学」:他の土地、特に外国に在留して学ぶこと。デジタル大辞泉より。
古くは、遣隋使・遣唐使なども「留学」に当たる。異国への足を運び、そこで暮らし、学ぶ。じゃあ、今のわたしたちにとっての「異国」はどこだろう?
■未知との遭遇Part1:海の向こうの国
「異国」。政治的な国境を基準に「異国」を考えるなら、わたしが初めての訪問した「異国」は、中学3年生のとき訪れたカナダだ。市の姉妹都市交流の一環で、人生で初めて飛行機に乗り、太平洋を渡ってカナダに降り立った。
奇しくも現地は、公立学校の先生たちによるデモで、学校が閉鎖されており、学校訪問の予定は見事崩れ去った。
ホストファザーは、軽く飲みに行くかのような感覚で「ボクも今夜はデモに参加してくるよ☆」とでかけ、ホストマザーは、わたしがおみやげに持ってきた風呂敷を「あら、すてきなショールね!」と身にまとい、ホストシスターは「キセ、おやつ食べよ~!」と生のニンジンを出してくれた。
若干15歳のわたしにとって、毎日がカルチャーショックの連続だったことは言うまでもない。
■未知との遭遇Part2:「関西人」
そんな「異国」体験をした生粋の東北生まれ・東北育ちのわたしが次に遭遇した「異国」との遭遇は、同じ日本にある西日本(関西や山陰・山陽、九州、沖縄)の人々との出会いだった。
こんなことを言うと、気を悪くする方もいるかもしれないが、わたしは「関西弁」に苦手意識があった。正直、今でも少し苦手だ。ある意味、英語やその他の外国語よりもよっぽど。同じ日本語のはずなのに、まずテンポが違う。勢いも違う。圧倒されてしまう。
苦手意識が緩和されたのは、大学に入ってから。研究室の先生や先輩が大阪出身だったのだ。最初こそ「ほんま?」「ちゃうちゃう」「ありえへん」といった早口の一言一言に「わあ~、ほんとにそういう風にしゃべるんだ…!」と、いちいち新鮮に驚いていたわたし。
けれど、親しくなるにつれて、「あ、別に圧迫しようとしてるつもりはないのか」「むしろあったかみがあるな」と思えるようになった。そこまで堂々と「おくに言葉」と臆せず使えることにうらやましささえ感じた。
次第に、お気に入りの言葉もできた。それはこのフレーズ。
「ええんちゃう?(知らんけど)」
「こんなことしたいんだけど…」「これでいいのかな…」と大小様々な悩みや不安を抱えているとき、積極的な肯定でも否定でもない、ゆるさと適当さを兼ね備えたこの言葉を言われるたび、だいぶ気が楽になったのを覚えている。
■未知との遭遇Part3:瀬戸内海の離島
そして、大学生になったわたしは卒業目前、ひょんなことから瀬戸内海の離島に1ヵ月住み込むことになった。岩手県の内陸で山々に囲まれた暮らしをしてきたわたしにとって、海沿いの土地、ましてや離島での生活は、まさに「異国」暮らしだった。
離島にもいろいろあるが、わたしが滞在した岡山県笠岡市六島は、人口80人弱(当時)、高齢化率・空家率50%越え。交番も診療所もコンビニも、そして信号もない。島の人たちは岡山弁、そして大阪弁を話す。わたしは未だに区別しきれていないのだが、大阪出身であったり、在住歴が長かったりする人もいるため、大阪弁も混ざっているようだ。
島に小学校はあるが、中学校や高校はない。中学生は毎日スクールボートで島外の中学校に通っている。スクールボート!小中高と半径2km圏内で徒歩・自転車通学してきたわたしにとって、バスでも電車でもなく、船という通学手段はなかなかに衝撃的だった。
海が荒れれば、一日に数本しかない船便もやってこない。自然の力には抗えない。雪国で味わってきた自然の猛威とはまた違う、「海」という自然の存在を、わたしは初めて体感したのだった。
■飛び立とう、国内外の「異国」へ
今でこそわたしは「トウキョウ」という世界有数の大都市で生活している。一昔前は、都会っ子に妙なコンプレックスを抱いていた。自分が「田舎者」で、「あかぬけていない」という勝手な劣等感。
けれど、あるとき「都会っ子」に言われたことがある。
「ふるさと」があるのって、うらやましいよ。
俺は「トウキョウ」しか知らないからさ。
まさに目からウロコだった。「トウキョウ」以外のふるさとを持っていることが「うらやましい」と思われるなんて。
わたしが勝手に「トウキョウ」や西日本にコンプレックスやニガテ意識、うらやましさを感じていたように、逆もあるなんて。
それをより早くに、例えば10代のときに知れていたら。わたしの人生はもっと変わっていたかもしれない。地元が「イマイチだな…」とか、よその方が「カッコイイ」だとか、固定観念に縛られずに生きていたかもしれない。
けれど、それは結局「ソト」、いわば「異国」を体感したからこそ思えることであって、どんなにネットの情報を漁っても、修学旅行でその地域の表面だけをなぞっても、きっとわからなかったことだろう。
だからこそわたしは、「海外留学」もさることながら、「国内留学」をもっと当たり前にしたい。いきなり「海外」はハードルが高いかもしれない。でも「国内」の「異国」だったら?
北海道で暮らす17歳と、沖縄の17歳の暮らしはきっとまるで違う。東京で暮らす15歳と、岩手で暮らす15歳の価値観はおそらくかけ離れている。
けれど、きっと似たような思いや悩みを抱えていることもあるはずだ。「学校」になじめなかったり、「トモダチ」関係や「恋愛」、「受験」や「将来」で悩んだり。
映画「君の名は。」で主人公の二人がぶつかりあったり、思いを通じあったりしたように、わたしは「入れ替わり」をもっと身近に、リアルにしたい。それは「想像力」をより確かな手応えを持ったものに変えると同時に、人生の幅を広げてくれるだろう。わたしはそう信じている。
■始まりは「ゼロ」からじゃない:先人たちの跡をたどって
実際、日本でもすでに「離島留学」制度は存在している。これを離島だけではなく、もっといろいろな地域で「アタリマエ」にできたら。その先にはどんなどんな未来が待っているだろう?
とはいえ。国内でも移動や滞在にはお金や時間がかかる。そこまでのハードルだって高いという声もあるだろう。岩手−東京間の新幹線代は往復で一人当たり約3万円だ。それなら、いっそ「国」や「都道府県」、「市町村」の垣根を超えて、「ソト」から人を呼んでくるのだって一つの手だ。
すでに各地で「キャリア教育」は実施されているだろうが、親や学校の先生、また、地域の著名人や職人以外の生き方に触れる機会は案外少ないのではないだろうか。けれど、世の中には「著名人」や「職人」以外にも、様々な「オトナ」がいる。
わたしの故郷・岩手では、校外の「オトナ」を招き、児童・学生と相互に交流する「未来パスポート」プログラムを展開している「未来図書館」というNPOも存在している。
始まりは「ゼロ」ではない。もうすでに芽は出ている。違う土地でだって種まきは始められるはずだ。
飛び立とう、国内外の「異国へ」。送ろう、追い風を未来の「わたしたち」へ。