人生で初めて東野圭吾作品を読んだ
流行っているものほど敬遠するタイプの人は一定数いると思う。
わたしの周りにも「『鬼滅の刃』の映画を観たら負けな気がする」という謎理論を展開する人は何人かいた。
気持ちはわからなくはないし、多分わたしもそちら側に片足突っ込んでいる気がする。なんかこう…ミーハーだと言われたくないという気持ちが多少なりともある。
「みんなが観ているから」「みんなが聴いているから」「みんなが食べているから」という理由で「じゃあ自分も…」となるのは日本人的感覚だと、高校時代の英語の先生が言っていた。なるほど確かに。
それが嫌でデジタル・ミニマリストへの道を目指そうと思ったところはある。
『マスカレード・ホテル』 東野圭吾著
【こんな人におすすめ】
〇 「好きな作家は東野圭吾です」と言っている人に嫌悪感があった人
〇 分厚い本を読むのが苦手だと言う人
〇 「東野圭吾」という名前は知ってるよ~って人
〇 心温まる推理小説なんて幻想だと思っていた人
〇 「驚異の大どんでん返し!」という謳い文句に弱い人
ミステリー作家として有名な人はたくさんいらっしゃる。
中でも「東野圭吾」という人は知らない人はほとんどいないのではないかぐらいの有名さである。
だからこそミーハーと言われたくないわたしは今まで読んだことがなかった。
「有名な作家は東野圭吾です」といけしゃあしゃあとドヤ顔で言ってくる輩が恐ろしいほど嫌いだった。
今にして思うのが、「東野圭吾」が嫌いだったわけではなく、ドヤ顔で「東野圭吾が好きな自分」に酔っている人間が嫌いだったんだろう。酔うなよな。
そんな「東野圭吾好き」を毛嫌いしていたわたしが東野圭吾の作品を読んだのは…
「noteにボロクソ書いてやろう!!」
という圧倒的歪んだ感情に突き動かされたからだと思われる。へそ曲がりもいいところだ。
そして読んだ。
そもそも、『マスカレード・ホテル』は以前テレビで放映されたときに(これも反骨精神の表れだったが…)観るつもりはさらさらなかったのだが、なんとなく観始めたらこれが見入ってしまったわけである。くそぅ!!
だから内容とか犯人とかはわかっていたのだが、原作は…
めっちゃ面白かった!!!!!
マジかよ。わたしの負けじゃん。
一般的なミステリーって、一つの事件が軸にあって探偵役が天才的な頭脳をもって、まさに灰色の脳細胞を使って事件を解決していくのだが、今回のこの『マスカレード・ホテル』はなんだか想像していたのとは全く違っていた。
一つの事件が軸にあるという点では基本ミステリーと同じなのだが、話の展開の仕方が一風変わっている。
舞台がホテルということで、そこに訪れる客が重要になってくる。本作に出てくる探偵役と読者であるわたしたちは個性的な客が訪れる度に「こいつが犯人か?いや、こいつか?」と思うのだが、そんなに簡単に犯人が明るみに出る筈もなく…。
客一人一人のドラマが展開されるオムニバス形式でありながらも筋は通っている。何とも言えない不思議な感覚だった。
東野圭吾が好きだとドヤ顔で言ってくる輩の気持ちが少しだけわかった(だからといってドヤ顔はどうなの?)
現在は同著者の『鳥人計画』という作品を読んでいる最中だ。
これも…なんか違う!!!今まで読んでたミステリーとなんか違う!!!
展開の仕方に度肝抜かれてる。抜かれた度肝が多分地球の反対側に行ってしまった。