自己否定という名の延命
自己肯定感の高い低いってよく分からないけど、
きっと私の場合、高くはない。
とある匿名チャットアプリでポロッと吐いた
「人からの好意が素直に受け取れない
理由は分からないけど気持ち悪く感じてしまう」
に、こんな返信が届いた。
「それは自己肯定感が低いから」
「愛される価値がない自分だと思っているから
向けられた好意から逃げている」
なるほどなぁ、と。
自分のことを悲観的に捉えるというのは
気が引けるというか、
傍から見たら「悲劇のヒロイン」ぶってるように
見えそうで、あんまりしたくないけど
きっと、そうなんだろうなと。
そもそも私が、某SNSアプリで見かける
「死にたい」だの「メンヘラ」だの
「○○界隈」だのうんぬんがほんとに嫌いで、
己の不幸を、さも武勇伝のように語る、
あの空気が、人間が、大嫌いで。
あれと同じになりたくなくて
「自分は不幸じゃない」
って思って生きてきたし
「それなりに恵まれて生きてる」
って生きてた
けど、なんか虚しいのは埋まらなくて
結局自分のことは好きじゃないし
なんなら大嫌いだし。
自分の存在を否定することで
「生きてて良い」を感じてる、そんな感じ。
「自分はどうしようもない人間」
「人の形をした何か」
「命あるゴミ」
死ぬ勇気なんてないから、
とにかく否定をする。
否定をすることで
「私が必要なものではない」ことを自覚して
自覚してる上で生きているから
生きていくことを許されている感覚。
誰に許しを乞うているのか
自分を否定していることを誰に示せばいいのか
何も分からないけど、
それをすることでやっと呼吸ができるような気がする。
人からの好意を素直に受け止めるためには、
逃げることなく、
気持ち悪いって思わないようにするためには、
自己肯定感をあげるしかないのかな。
よく言うよね
人を好きになるには自分を好きにならないといけない
知るかって話だけど。
人、好きになったこと多分あるよ、こんな私でも
あと余談だけど
「自己肯定感を高める〇つの方法!」
みたいなのよく見かけるけど
あの記事書いてるの自己肯定感激高人間でしょ
なんの参考にもならないよ。
わたしらの階級はそこに行き着くまでの土台が
まず出来上がってないので。
はい解散。
こんな人間に育ってごめんねお母さん
だし、
こんな人間を好きになってくれてありがとう
なんだけど、
もうきっと、私が私を好きになることはないから
ね。