映画『僕の町はお風呂が熱くて埋蔵金が出てラーメンが美味い。』の町からそんなに遠くない町で生まれ育った小娘は、『僕ラー』が気持ち悪くてしょうがない。【観賞後記】
この記事は、映画のネタバレを大いに含みます。
題にあるように、私は『僕ラー』の舞台となった富山県射水市からそう離れていない町で生まれ育ち、大学で町を離れ、京都でこの映画を鑑賞した。どれくらいこの町から離れていないかは、言葉でわかる。私の町は、この町の言葉と絶妙に似ている。私も「~ちゃ」という特徴的な語尾は、私の方言とも共通している。町の規模も、雰囲気も、とてもよく似ている。
だから、この映画は、すごく、気持ち悪かった。
家父長制と、保守と、外的なもの(物・者)を過度に恐れて変わらない町。そしてそのすべてに対して「町の男たち」が無自覚なところ。私の町と瓜二つで、きっと私の町と瓜二つの運命をたどる町。
冒頭のお風呂場のシーン以降、観賞すること自体が苦痛だった。よく最後まで見たと思う。「覗き」という、性犯罪に対して本人たちのみならず、銭湯を経営する保護者達も極めて軽い考えを持っていて、当事者を介さずそれを解決し、そして何より、何より製作者側が登場人物たちと全く同じスタンスであることがわかる演出。ありえない。性犯罪だよ、性犯罪なんだよ。性的に女子を消費していることに無自覚で、あんな笑って説教して、しかも説教になってない、警察に通報して解決する問題だよ。あんな効果音や音楽で演出するなんて吐き気がする。
そしてそのシーンでも家父長制ががっつり出ている。意見しようとするおばあちゃんを怒鳴って黙らせる祖父。一歩下がった位置に立つ母親。
繰り返して言うけど、この演出に対して、制作側が無自覚すぎるのが、もうはっきりと見えるんだよ。キモ過ぎるわ。
その後も、苦痛すぎるシーンが続く。ヨシキの父親は病気を患ったあと家族に暴力をふるっているし、ヤングケアラーに近い立場にあると思われるけど、誰も助ける様子はなく、トオルやアガルですら声をかけている様子がない。(それこそ、ヤングケアラーの視覚化されづらいという問題点の一つなのだが)
アガルの母親と再婚相手は、自分たちのことを受け入れる以外の選択肢を用意していないし、この問題に関してアガルに丸投げしている。親の再婚は、子どもにとっては大問題で心理的負担は非常に大きいのに。
トオルの家も、兄が亡くなった時、真っ先にケアすべきトオルをほっといて、その傷はトオルの進路選択に大きな傷を残している(それなのに、銭湯を継ぐ選択をしている原因をトオルに丸投げしないでおばあちゃん)
つまり、この3人に対して適切なケアはなされないし、放置されたまま。ヨシキの父親が本当におう暴力を振るわなくなったなんて正直思えないし。そんな時、コンサルの彼女が言った言葉が染みる。こういう時の田舎の「キヅナ」や「人と人との繋がり」ほど脆いものはない。そして、何の力も持たない。無力だ。
この映画の「悪役」であるコンサルの彼女や、カリンが完全に的を射ているわけじゃないけど、一番まともなことを言っている。そんなコンサルの彼女に、三人組は「女?!」と驚きの声を浴びせかけるのですけど、驚くポイントどこにありましたか?
女性がコンサルの説明会を取り仕切ってたいら何がおかしいの?
高校3年生の3人の中に刷り込まれた男性優位社会がはっきりと見えて、もう駄目だって感じ。あの説明会のシーンで、「この町を守る理由」をみんなが挙げる。ラーメンがおいしくて、お風呂が熱くて、日本のベニスって言われるくらい、きれいな風景を持つ町。だけど、人との繋がりと優しさみたいなものに固執しても、町は守れない。
「取り残されている」という自覚がない。取り残されていると自覚していても、「変わらなくてもいいじゃないか、変わっちゃいけないところってあるじゃないか」みたいな空気になるけど、あんたたちは変わらなきゃいけないんだよって、総ツッコミ入れたくなる。
当初リゾート開発として購入した土地を、工場建設に使いますという説明や買収の手続きの欠陥は否めないが、漁業活性化や雇用創出という点で完全なる悪でもないはずの工事を、「外からの侵入者」として頑なに拒み、(よく説明を聞いてもいないのに「外国」「外資」に過敏に反応するし)追い出すために一致団結するとおいう構図が地方自治体とかいてディストピアと読む昨今の状況と重なってしんどい。「旅の者」と、外からの住民を受け入れない射水の人々の姿勢を反省して、トオルとヨシキは彼への向き合い方を考え直しているが、結局工場のことをよく考えずに住民と一致団結して排除に動くあたり、彼らはとどのつまりアガルに対する考えのみを改めたのだとわかる。彼らの根本的な体質は何一つ変わっていない。高校生が突発的に考えたイベントが、ミラクル、宝くじ級のラッキーイベントで「ついでに」盛り上がり
(このラッキーは、「だいぶつ」と呼んでよく知りもしないのに蔑み、敵視していた相手がたまたま有名漫画家でそれが当たってヒットしたという、自分から全く行動しておらず、的はずれな要求と地元愛を叫んだら気に入って貰えたという、決して能動的な行動の結果では無いことを付記しておく)一時的に町が潤っているだけである。彼女が「変えたい」と思った思いの強さや、彼女のアイデアである工場の方が、雇用は創成されるし、漁業は活性化されるし、借金を抱えた人々にとってどちらが大きく、長期的な利をもらたすかは明白だ。結局「旅の者」体質は変わらない。
自分の地元に対する、愛しているけど帰りたくは無い、大好きな街で、風景も美しくて、私の故郷だけど、働いたり、居を構えて長く住むのは無理、という嫌悪感の元凶をここまで掘り下げてくれた点は見てよかったと思える唯一のポイントかも。
こんなに見るのがしんどい映画は久しぶりだった。