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田んぼをみて泣いた話【バングラデシュ】

私は、田んぼを見て泣いたことがある
それは、バングラデシュの田舎で寝泊りしていたとき、青々と稲が育っている様子に、初めての土地なのに懐かしさを覚えたからだった。
農家の家系でありながら、農業を継がず実家から離れていたが、自分の中には、気づかぬうちに脈々と、自然や農作物たちが根付いていたのだと。

バングラデシュの田んぼ

田畑は、農家の孫だった私と妹にとって、身近な遊び場だった。
アニメのポケモンで、ロケット団が落とし穴を作っていれば、私も!と畑に小さな落とし穴を作った
が、次の日には、何もいわれずに、祖父によって綺麗に埋められていた(今考えると、小さな穴とはいえ、捻挫の可能性もあって危ないのに、何もいわないでくれていた)。

こちらからお借りしました(https://ameblo.jp/nanashi0712/entry-12664735417.html)
この3人の並びも懐かしい。

田んぼでは、水が流れている夏の用水路に、私と妹でお互いはいているサンダルを流して、どこまでギリギリ走ってサンダルを取りに行けるかというチキンレースをやっていた。
走って間に合わず、遠ざかっていく流れるサンダルを呆然と見つめていると、救いの神のように祖父が取ってくれた。
ここまでくると、農家の祖父の仕事をただ悪気なく邪魔をしている二人である。
それでも、祖父は寛大で、何もいわずに遊ばせてくれていた。

広がる田んぼ

そんな風に私たちにとっては遊び場だったが、農家にとっては、農作業は仕事でありながら日常であり、生活の中に田畑が組み込まれている
農家の祖父は毎朝、毎夕、畑の様子を見に行って、畑作業をしていた。暑い日も寒い日もだ。それは年を重ねても、身体に様々な痛みが増えても変わらず続けている。
身体を大事にしてね、と電話で言い続けているが、本当に尊敬でしかない。

一方、あれほど田畑で遊ばせてもらったのに、私は全く農業と関係のない学問や仕事を選んだ。
実家を継がず農業も生業としなかったのに、巡り巡って「リクガメのごはん屋さん」を始めたのは、とても感慨深い。

野生で生きている姿が想像もつかないこの寝相。

今、自分にとって身近なリクガメのごはん屋さんでは、農家のおおむぎが日々野菜の世話をしている。
これまで栽培している作物に加えて、新たにリクガメごはん用の野菜を育てるが、毎日の手入れが欠かせない。日々の天候による影響や、土の乾き具合、作物の成長の様子を見て、手を加える。
特に今年は、リクガメごはんとして新しいチャレンジをしている。スーパーでも見ない、ヨーロッパが原産のリクガメのふるさと野菜を、試行錯誤しながら作った年でもあった。

農家のおおむぎは、いつもノートをつけていて、田畑の計画を書いたり、種や育て方を丁寧にメモして整理している。
なんと、時にはYoutubeも活用して、情報収集をしている(農業×Youtuber=農Tuberという方々もいらっしゃるそう)。
私もいくつか動画やYoutubeライブを見てみたが、コメントを通じて農家さん同士のやり取りも見られて、情報交換の新しい場になっていると知り、新しい技術の進歩とともに、農業の広がりを感じ、とても面白かった。

祖父も、農家のおおむぎもそうだが、彼らは年齢を重ねていきながらも、新しい知識や新しい作物の栽培も取り入れ、何カ月も何年もかけて植物という命に向き合い続けている。
季節や自然の流れを何年も経ることで積み重なっていく経験も味方にして、身体を動かし、世話をやめずに、植物を育て続けていくことをしている農家さんたちを、私は心から尊敬しているのだ。どこの場所でも、もっと大事にされてほしいと思う。

バングラデシュの田んぼを見て涙がこぼれたのは、地元が懐かしくなっただけではないのかもしれない。
青々とした稲の連なりを見て、国が変われど、作物を育てるために日々手入れをし、その知識や経験を積み重ねている農家さんがいることに、改めて胸がいっぱいになり、自分も頑張ろうと思ったのだ。

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