沙藤 こむぎ

大きな川のほとりでリクガメと暮らす人。読んだ本・映画、日々の感じたことを書いておく場所です。

沙藤 こむぎ

大きな川のほとりでリクガメと暮らす人。読んだ本・映画、日々の感じたことを書いておく場所です。

最近の記事

「風通しのよい身体」とは?

晴れやかな青空の日に、横浜で開かれた「本は港」へ1年ぶりに訪れた。 「わたしたちにはからだがあった― からだに意識をうつして過ごしてみると」のトークイベントに参加した。 二人のお話を聴きながら、 ふっと自分の中に浮かぶ気持ちや考えをそのまま巡らせてたり、響いて書き残したりしながら聴いていた。 特に自分の中に残ったり、メモに書いていたりした言葉たちをリストに残しておきたい。 特に自分が気になった言葉について考えてみた。 ① 武道を経験する中で、いかに身体と暴力性を使って

    • 上司は異文化交流

      「上司と接するとき、自分が海外の支社で働いてるって思えば、異文化交流だと思えばいいじゃない?」 5月くらいから続いていた、本質ではない部分での所属部署とのすり合わせでかなり辟易していた私にとって、これまでで一番納得感のある例えだった。 ここ最近、体調が優れないことに加えて、上司との仕事に対する価値観の認識が異なっていて、かなり疲れていた。 「仕事の成果」という比較的定義しやすいと思う内容でも、 同じチームである直属の40代の上司、そのさらに上の50代の上司とのやり取りが上

      • 金曜日の夜、好きな作家さんのトークイベントに参加した日

        すごくあたたかい、呼吸のしやすい、やわらかさに満ちた空間だったと思う。 お話するお二人はもちろん、本屋さんの中で一緒に座っている人たち、 顔は見えないけれどオンラインで聴いている方々、 イベントのために色々細やかに気を配ってくださったスタッフの方々。 特に今週はひええと思いながらなんとか過ごした平日の5日間だったので、 金曜日の夜に2時間、楽しみだけれど大丈夫かな、と思っていたが、 本当にあっという間だった。 土門さんは、かろやかな方だった。 話を聴かれるときに、ほんとう

        • あなたのことばのファンです

          「ことば」に、その人のひととなりが表れると思っている。 最近、あるツイートからブログを読んで、 「はっ!このことばの選び方や文章、とっても好きだ…!」と思った。 それがこちら。 このツイートは、横浜の個人書店さんの「本屋 象の旅」さんが、「本は港」というイベントに参加されたことに関して、店主さんが書いたブログの紹介だった。 文章を一部だけご紹介する。 こんなにもていねいに来てくれた方々への御礼、 運営スタッフの方々への感謝とねぎらいの言葉に加えて、 店主の方ご自身が思っ

          「きゅうし」した友人(戸谷洋志著「友情を哲学する」)

          「〇〇は”きゅうし”したんだよね」 初めに聞いた時、脳内で漢字の変換ができなかった。 私は、その友人が”休職”していたと思っていたからである。 返事のないことが気にかかっていたLINEの、最悪の答え合わせだった。 彼女は、私の中では、一番親しさを感じていた同期だった。 入社前のグループワークでも同じグループで、その後も仲良くなり、 彼女の住んでいる地方に行った時には、一緒にランチに行ったりお散歩をしたり、修士論文を書いたりしていた。 なんとなく特別に感じていたのは、同期入

          「きゅうし」した友人(戸谷洋志著「友情を哲学する」)

          できなくなることをどう受け入れて、挑戦しつづけていくのか。(映画「ライフ・イズ・クライミング!」)【モロッコ】

          人生で初めて、映画の初日舞台挨拶に行った。 Twitterで見かけてずっと見たかった映画で、 初日舞台挨拶のツイートを見つけて、当日思わずチケットを買ったのだ。 特に気になった2つをメモのように書いておく。 <以下、ネタバレあり> 文字通り命を預けて、相手を信じること。 全盲のクライマー・コバさんは、クライミングをするときに、 視覚ガイドであるナオヤさんの声と、自身の身体を頼りに進んでいく。 ナオヤさんは、後方からあらゆるリスクを考えながら、 力強い、温かく、身体も

          できなくなることをどう受け入れて、挑戦しつづけていくのか。(映画「ライフ・イズ・クライミング!」)【モロッコ】

          愛する気持ちも、こわい気持ちもある国【ネパール】 

          ネパールも、そこで出会った人たちも、本当に大好きだ。 でも、大切な気持ちがくるっと反転してしまうとき、 自分の気持ちに揺るぎがあったことに動揺してしまうのだ。 今年のGWに、7日間の連載企画として、 「リクガメのふるさと道の駅」という企画をやっていた。 こういった公開するような文章を書いたことがなかったので、 初めて投稿するときはかなり緊張した。 何度も推敲した後、「これでよい!えいや!」 という気持ちで毎回公開していた。 そんな中で、TwitterやInstagram

          愛する気持ちも、こわい気持ちもある国【ネパール】 

          七夕に祈るくらい苦手だったデータ分析が、ヨルダンで私を助けてくれた話【ヨルダン】

          7月7日、七夕の時期。 小さいころは、願い事を書いた短冊を笹につけていたと思うが、 卒業論文に苦しんでいた当時の私は、 「短冊に『統計分析ソフトと仲良くなりたい』と書きたい」 といろんな人に言っていた。 笑い話のような本当の話であるが、他力本願もいいところである。 そのくらい、プログラミングコードを書いて統計分析をするということに、当時は苦手意識が強かった。 赤いエラーコードが出ると、本当に悲しくなった。 こんなにも苦手意識のあるデータ分析が、 自分を助けてくれる日がくると

          七夕に祈るくらい苦手だったデータ分析が、ヨルダンで私を助けてくれた話【ヨルダン】

          アラビア語とイスラム教を学んでみた。【ボスニア・ヘルツェゴビナ】

          「聖地巡礼」をしたことがあるだろうか? 宗教上、重要な意味をもつ場所に行くこと、ではなく、 映画やアニメ、マンガの舞台や作者と縁の深い場所などを巡ること、 の方である。 私が初めて「聖地巡礼」をしたのが、 ボスニア・ヘルツェゴビナという国だ。 ユーゴスラビア出身の少女が出てくるこの小説。 大好きだった小説に、重要な国として出てくる、 かつてのユーゴスラビアだったボスニア・ヘルツェゴビナを、 20歳の私は聖地巡礼のような気持ちでどきどきしながら訪れた。 そんな軽い気持ちで

          アラビア語とイスラム教を学んでみた。【ボスニア・ヘルツェゴビナ】

          「あ、私、外国人だ」と思った日。【スロベニア】

          「あ、私、外国人だ。」 そう思った瞬間を、10年近くたった今でも鮮明に覚えている。 スロベニアの首都リュブリャナという都市に、1か月ほど滞在していた。 海外の同じ場所に1か月も滞在するのは初めてで、 決められたスケジュールに参加しながらも、 日課として、よく午前中に街の中央へ散歩に行っていた。 歩行者天国のように、車が入らないような街の中で、 自分が歩く大きな道の反対側に、保育園児くらいの子供たち10人くらいが、保育士さんのような大人に連れられて歩いていた。 私が保育園

          「あ、私、外国人だ」と思った日。【スロベニア】

          1200段の階段を登って考えた「あまりよく知らない人と深く関わろうするときに大切なこと」【スリランカ】

          「あまりよく知らない人」と関わるとき、 どういうときに「信じよう」と思えるのだろうか。 様々な国を訪れる機会をいただき、慣れない土地ではじめましての人と出会う機会が多かった中で、よくこういった場面に遭遇した。 もうだいぶ前のことになるが、スリランカを訪れ、見ず知らずの人の家に泊まった当時の私の答えは、 「裏切られてもいいと思えるかどうか」だった。 スリランカには、シギリヤ・ロックという神秘的な岩がある。 世界遺産にも登録されているこの地区は、様々な人がシギリヤ・ロックをの

          1200段の階段を登って考えた「あまりよく知らない人と深く関わろうするときに大切なこと」【スリランカ】

          田んぼをみて泣いた話【バングラデシュ】

          私は、田んぼを見て泣いたことがある。 それは、バングラデシュの田舎で寝泊りしていたとき、青々と稲が育っている様子に、初めての土地なのに懐かしさを覚えたからだった。 農家の家系でありながら、農業を継がず実家から離れていたが、自分の中には、気づかぬうちに脈々と、自然や農作物たちが根付いていたのだと。 田畑は、農家の孫だった私と妹にとって、身近な遊び場だった。 アニメのポケモンで、ロケット団が落とし穴を作っていれば、私も!と畑に小さな落とし穴を作った。 が、次の日には、何もいわれ

          田んぼをみて泣いた話【バングラデシュ】

          「イランになんて行かないでほしい」中東のイメージを大きく変えたのは、圧倒的な歴史と人だった

          「イランになんて危ないから行かないでほしい」 イラン行きが決まったとき、母に実際言われた言葉である。 イランへ派遣してもらえる研修に合格したと電話で伝えたら(選考を受けたことはもちろん事後報告)、強く反対されたことを覚えている。 「イラン」「イラク」など、似ている名前だし、危ないのでは、と思うのも無理はない。 私も、当時のイランに対するイメージは、 ・世界史で習った「シーア派の国」 ・「革命が起こってアメリカから制裁を受けている国」 という、一般的なイメージとしてはポジテ

          「イランになんて行かないでほしい」中東のイメージを大きく変えたのは、圧倒的な歴史と人だった

          リクガメのふるさと旅行記を書けなくなった理由

          リクガメのふるさと旅行記というシリーズを、年末から書いてみようと思い、 スロベニアとボスニア・ヘルツェゴビナ×ヘルマンリクガメの2記事を書いた。 しかし、その後は更新できなかった。 書くのを迷った理由の一つは、リクガメのごはん屋さんのお野菜を気に入ってくださる方々や、リクガメのごはん屋さんが大切にしているものを応援してくださる方々にとって、 広報担当こむぎの主張が若干強めなこの旅行記が、ノイズにならないか迷っていたからである。 また、思いのほかエッセイ味も強くなってしまっ

          リクガメのふるさと旅行記を書けなくなった理由