個性がないという個性
私は自分のことがよくわからなかった。
なんなら今でもよくわかってない。
なぜかというと、自分の中に相反する要素を沢山抱えているからだ。
どちらかというと多分内向的寄りだけど外交的な面もあるし、慎重だけど好奇心もあるし、ロマンチストだけどリアリストな面もあるし、真面目だけど極度の面倒臭がり屋だし。きっと探せばまだあると思う。
だから、私という人間を誰かに説明する時にいつも困ってしまう。簡潔に言い表すことができないのだ。
人間は一言で表せるほど単純じゃなくて、多面体だなんて言われるけど、その中でも私は複雑なほうだと思う。
それがずっと気持ち悪かった。
私は何なんだろうって何回思ったことか。
最近読んだ「20代で得た知見」という本に、こんな文章が書かれていた。
どちらにもなれない、どちらを選べばいいか分からない、ということはしかしよくあることです。たとえばちょっと外交的だが内向的、ちょっと熱く、と同時にちょっと冷めている人は、本物の内向的な人間とも本物の趣味人とも本物のパリピとも合わず誰よりも孤独になる。
え、これ私のことじゃんと思ったその後
ですがこのタイプもまた、どちらにもなれないことを突き詰めればよろしい。
と書かれていてハッとした。
内向的な人とはもうちょっと楽しく話したいなって思っちゃうし、だからといっていきなりガツガツくるパリピにはビビる私。
そうだこれだ。
性格診断とかやると多少の偏りはあれど、だいたいどの要素も真ん中ら辺にいたことを改めて思い出した。
私はどちらか一方に属することができないんだ。
今日からこれを
「個性がないという個性」
と呼ぶことにしよう。
うん、すごく私らしい。
「私はどちらにもなれない」と言い続ければいい。すると、同類同胞が遥々遠くからやってくる。そんな人と一緒に遊べばいい。話せばいい。なんか面白いことできねえかなあなどと酒でも酌み交わせばいい。そういう人同士でしか生まれない娯楽があるでしょう。恋愛もある、お仕事もあるでしょう。だからまずはご自身を、正直に、過剰に。
この言葉に救われた。
これを言い続けた先に待っている出会いが楽しみ。
私はこれからも個性がないという個性を抱えて生きていく。
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