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消費を減らす生き方は主流になる?「消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神」がすごい本だった。


涼しい秋の日は特別なことをしなくても心地良い。

休日の今日も仕事の日と同じように、朝起きてキッチンに乾かしていた食器を片付け、エスプレッソを作り、読書をして過ごしていた。

本当におもしろいと思った本のことしか僕はnoteに書かないのだけど、最近また書きたいと思う本に出合っていて、少し分厚い本だから何日もかけて少しずつ読み進めている。

この前、近所の図書館でやっていた「郊外文化」というテーマで語られるブックトークイベントに参加して「消費」に関する本を読みたくなり、「消費」というキーワードで図書館で蔵書検索をして見つけたのが、今回紹介する、「消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神」だった。

ちょっと難しそうなタイトルだけどあまりにもおもしろくて、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読むより先に、それにインスパイアされたという北海道大学の教授が今年出したこの本を熟読している。


「消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神」(筑摩書房,2021)


まだ途中までしか読めていない上に、膨大な情報量のこの本を短い文章で紹介するのは難しい。

とてもざっくりと要約すると、現代の行き過ぎた資本主義社会、消費社会におけるミニマリズムの流行の社会的意義を、スローライフ、脱サラ、禅の思想、ダウンシフターズ、環境保全活動など、関連する様々な概念や考え方、活動などと比較しながら検討し、最後に「脱資本主義」の精神の在り方についても定義している。

この本のおもしろいところは、片付けブームを巻き起こした「こんまり」こと近藤麻理恵さんから、ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領、禅の修行僧に、『無印良品とはじめるミニマリスト生活』のやまぐちせいこさんや、ベストセラー作家の四角大輔さん、「年収90万円で東京ハッピーライフ」の大原扁理さんなどの著名な実践家や思想家に、人気ブロガーからヴォルフガング・シュトレークさんといった社会学者まで、さまざまなジャンルで活躍する人たちの言葉を集め、整理し、体系立てているところだ。


ミニマリストたちは「自分はこのようにモノを捨てました」という報告を通じて、いわば下からの啓蒙を企てている。この企ては、二十一世紀の新しい啓蒙と言えるかもしれない。(p10 「はじめに」)

このように著者の橋本さんは「はじめに」で書いているけれど、この本こそが、様々なミニマリストや、関連する実践家ひとりひとりのライフスタイルや意見を紹介しながら「脱資本主義」というあり方について紹介し、啓蒙しているとも言える。個人個人の実践と思想をつなげてわかりやすく紹介してくれているのだ。

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個人の感じ方から社会哲学へ

300ページ以上ある本文の中ごろ、消費の過剰を美徳とする現代の正統な文化から逸脱するミニマリズムをの意義を検討する過程で橋本さんは、ミニマリズムが流行している時代背景を文化人類学的、あるいは心理学的にも考察している。

ポスト近代の消費社会とは、このような逸脱による快楽を求める社会であった、ということができる。しかし新奇さの追求は、限度を超えると不快なものへ転化する。(中略)シフトフスキー自身は、人は安楽と快楽の自由選択において、合理的に判断できると考えた。もしそうだとすれば、次のように言うことができる。消費のミニマリズムが生まれる背景には、逸脱的な新奇さがもたらす不快のリスクが上昇したのではないか、そしてそのリスクに人々は回避的になってきたのではないか、と。(中略)クラップは『過剰と退屈』で、モノや情報が過剰になると、人生がかえって無意味化し、退屈になるというパラドクスを指摘している。(p.p142-143 第3章 正統と逸脱の脱消費論 「過剰と退屈がもたらす不快さについて」)


このように、現代という時代における個人レベルでの快・不快の感じ方の分析から、ミニマリズムによってどのように人が幸せを感じるのかを検討しつつ、脱資本主義という社会全体の大きな流れについても言及している。

この本を通して、個人レベルの「幸せな暮らし方」についての話と社会哲学の思想が繋がっていく感覚が、とても気持ちいい。

禅や仏教の思想とミニマリズムの共通点や、(僕個人に限った話?だが)福祉の仕事が、低所得の仕事であっても幸せを感じられる理由など、普段何気なく考えていたことが全て説明されているようで、刺激的だった。


今、生き方に迷う人にとってヒントになる言葉が、ふんだんに盛り込まれているように思う。

自分はいったい何を欲しているのか、自分は何者であるのか。こうした「人生の本来的な意味」を問うとき、人は天職に従事するよりも、あまり稼がずに、十分な時間を使って自己と向き合うべきなのかもしれない。そもそも意義ある人生を送るために必要な経済的収入は、それほど多くないかもしれない。人生の理想は、仕事に身を捧げるよりも、人生を享受すること、理解すること、受け入れることにあるかもしれない。(p99第3章 正統と逸脱の脱消費論 「労働/非労働の類型論」)

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日ごろストイックである方が快楽を得やすい?

僕の話に戻って恐縮だけど、2か月ほど前に洗濯機を使わない生活をはじめ、今月頭に、食費を2日1000円に抑える生活を始めた。

部屋はそこそこ散らかっているし、僕自身にミニマリストだという自覚はないのだけど、実験的に不便な生活、制限をかけた生活を始めた結果、逆に自由な気分になれたり、快を感じやすくなった。

昨日、一か月ぶりに仕事の合間に買い食いをして、Pascoの「ホワイトチョコとラズベリーのタルト」を食べたのだけど、100円ほどのお菓子が感動するくらいおいしく感じられた。同じものを食べても、当たり前のように買い食いをしていた以前ではきっと得られなかったおいしさだった。

いま僕はそこそこの人口密度の市街地で暮らしていて、街中を歩いているだけで入ってくる情報量はすごいし、購買欲や食欲をかきたてる店舗も無数にある。簡単に安く手に入る美味しい食べ物にもあれている。

それに流されてふらふらし過ぎてしまわないように、お金に余裕があろうとなかろうと自分の暮らしに制限をかけるというのはきっと大事で、何日も山籠もりをしたあとで街中に戻ってきてて食べるお店のラーメンが絶品なように(やったことないけど)、日々の暮らしをできるだけストイックにしておく方が、たまの贅沢に感じる喜びは大きい。

ちなみに、僕は運転が好きなのにまだ一度も車を買ったことがないのだけど、普段車を使っていないおかげで、仕事で職場の車を運転するだけでも楽しく感じる。


まとまらないまとめ

この本によると、ミニマリズムの世界的な流行は2015年ごろらしく、資本主義の歴史と比べればとても短い。今後ますます重要視されるであろう環境問題とも相性の良い生き方だけど、この価値観がどこまで広がり、一般的になっていくかはわからないし、一人ひとりの考え方次第なんだろうと思う。

たとえばHSPのような特性の持つ人には、気持ちよく感じられる生き方かもしれないし、強い刺激や競争を求める人にとってはつまらない生き方だろう。

また、この本にも書かれているが、皆が経済活動よりも(お金のかからない)幸せを志向すれば、結果的に経済が衰退し、将来的には多くの人が不幸になる、ということも起きるかもしれない。超短期的に見れば人々の幸福度は上がるが、長期的に見たら経済が衰退して多くの人が不幸になる、だけど、もっと長期的に見たら環境的には良いからプラスになる、のかもしれない。よくわからない。

ただひとつ、この本を通して感じたのが、すでに膨大な数の思想家、実践家がミニマリズムに関連する生き方をしていて、それぞれが現代において多くの支持を集めている(僕みたいにホセムヒカにも大原扁理にも共感する、という人もわりといそうだけど)ことから、もはや少数派とは呼べないレベルになっているんじゃないかということ。

情報や刺激があまりにも多い社会だからこそ、その反動としてのミニマリズムが流行するのは納得ができる。


僕はまだ読んでないんだけど、たぶん、「人新世の『資本論』」を読んでおもしろいと思った人が次に読むべき本なんじゃないかと思います。

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