文才のないあたしは、バイブス全開でみくりや佐代子さんを肯定する!
みくりや佐代子さんの文章を、noteはない“とある媒体”で読み、めちゃめちゃ興奮した。(以後、親しみを込めて「ちゃこさん」と呼ばせてください!)
他の誰とも違うエッジの聞いたユーモア、言葉のセンス、歯切れの良さ。
どれをとっても素人の書く文章じゃなかった。
それだけじゃない。
愛、と名付けてしまうと陳腐なんだけど、
日々の生活とか、ヒリヒリ した歪な感情とか、人間そのものとか、そんなものを丸々ひっくりめて愛おしく思っている・・・
ちゃこさんの言葉にはそういった「不格好で不完全なものへの愛」を感じた。
愛なんて言葉を軽々しく使う奴は語彙力のないアホンちょだと思ってたんだけど、文才のないアホンちょなのでご容赦いただきたい。
・・・話を戻そう。(←ぺこぱ風に。
え、え、この方は一体何者さん?作家さん?天才さん?
彼女の文章に完全に痺れてしまった私は、持ち前のストーカー根性(?)でなんとか彼女のTwitterに辿り着き、普段はnoteで執筆され本まで出版されてる事を知る。
ま、マジか!プロの方やん!やっぱり〜〜
と、まるで
「あのバンド、インディーズの時から売れると思ってたんよ」みたいな
「私には本物がわかるの、ふふ」的な痛い優越感と高揚感で完全にハイになり、急いでnoteのアカウントをこさえた。
*注:noteのアカウントがなくてもみくりや佐代子さんのエッセイは読むことができます。舞い上がっていたのです。ほんと。
・・・そして、読んだ。みくりや佐代子さん@note の文章を。
震えた。
そして、のぼせた。
ソウルメイトなのかな?と思っちゃったんですよ。
あ、ごめんなさいごめんなさい。怒らないで!
おこがましいのは百も承知の助。
でもね、
どうしてこの方は、私しか知らないこの感情の事を知っているのだろう?
どうして、この胸のざわめきに言葉を与える事ができるのだろう?
ひょっとして、私が書いたのかな(←ちゃこさんに謝れ
ともかくこれは、私のための文章だ(←いい加減にせえ!
と思ってしまったの。
熱で浮かされたように、TwitterのDMに「ファ、ファンです!好きです!」みたいな中学生のラブレターのようなメッセージを送ってしまい(その節は突然申し訳ございません💦)
今後はあまりご負担にならない形で、でもどうやって記事の感想やら熱き思いを伝えたら良いものだろう?と思案していた。
ファンレターを度々送っても困らせちゃうし、重い女とか思われたらアレだし恥ずかしいしご迷惑だし?
とモジモジしていたら、いらっしゃるじゃないですか、大勢の「みくりや佐代子ファン」。
そして、あるじゃないですか、ファンレターとも違う、たくさんの熱〜いアンサー・エッセイ!
みなさん、「これは私にぴったり寄り添った言葉だ」と共感し、特別な宝物みたいに大切に胸にしまって、お守りにしてる。彼女の言葉は、「不完全で歪な自分」を許してくれるから。
ちゃこさんが椎名林檎さんについてのエッセイで書かれていた言葉、
椎名林檎は罪な人だ。私自身に寄り添ってくれるようで、私と全く同じように「自分の曲だ」と感じる少女がゴマンといる。
椎名林檎の歌うその孤独を、私と林檎の二人だけが共有できる感情だと錯覚してしまっていた、そんな自分を恥じた。
私も、ちゃこさんに対し全く同じ事を思った。
ちゃこさんと私にしかわからない「複雑な感情、特別な言葉」。
そんなものはない、当然だ。
多くの人がちゃこさんの言葉を受け取って「自分に書かれたものだ」と感じる。
これこそ、みくりや佐代子さんの魅力・・・だと思う。
ほんとは、一番最新の「ママという名札をぶら下げて生きる」などを含む一連の「母親である事の呪いシリーズ」(←勝手に命名すな!)に対しての感想文を書きたかった。でも、もう書いたいことがあり過ぎて、まとまらなくて。「いつ書こう、どう表現しよう」なんて思ってたら溜め過ぎた感情が便秘になってパンパンになり、出すしかなくなったのだ。
なので、取り急ぎ言わせてください!!
母とか何とか関係ない。
私はあなたが何者でも好き。
母でも母じゃなくても。
あなたが誰かも何も知らずに文章を読んで心が動いた。
それが答え。
あなたはすごい。
あなたには魅力がある。
あなたは人を許してくれる。
だから、あなたはあなたを自由にして。
母親らしくなくていいじゃん。
少女のままでいいじゃん。
全部魅力なんだもの、全部そのままでいいじゃん。
誰かからもらう名札、そんなもの、マジックで上書きしちゃえ。
あたしは、みくりや佐代子、って。
文才のないあたしは、バイブス全開でみくりや佐代子さんを肯定する!
🍀
乱文失礼いたしました。
えらそーにすみません。
お読みいただけて嬉しいです。めちゃくちゃに。
誰か同じ気持ちの方がいたら、マブダチになりましょう。