AIの時代、愛(ai)のない時代
新しいiPhoneにもより進化したAIが搭載される2024年。ChatGPTを筆頭にAI技術が実用可能なところまできた。でもそれは人間の生活を豊かにするのだろうか。
カメラにもAIが入り出した。動物や飛行機等AFのAI化によって精度は上がったかもしれない。けど本当にそれは有益なのだろうか。
人間は基本的にめんどくさがりで効率を求めて進化してきた生き物だ。だとするとAIを用いて人間の負担を軽くするということは進化として妥当とも思われる。でもそれは同時に人間が退化することでもある。使わない機能はだんだんと衰えてくる。AI任せで失敗なく被写体を追うことに慣れると、自分で被写体に合わせることが難しくなる。
自転車だってそうだ。競技用のロードバイクも昨今は電動変速機が主流になっている。電動で変速を行うことで、ワイヤー時代には起こりえた変速ミスが軽減される。少ない力で変速ができる。E-BIKEも市場が広くなっているように感じる。BBの辺りにモーターが内蔵されていて自力の時よりも楽に加速できる。山などの斜面も断然楽に登れるらしい。でも、それ本当に楽しいの?とついつい思ってしまう。
仕事として失敗ができない状況に身を置き、最先端の技術を駆使して成功を担保するのは理解できる。けど、趣味は失敗が醍醐味なのでは?と思う。ひとつの目標があって、それに対して試行錯誤があり、失敗しながら成功に近づく過程を楽しむ。それが趣味だと思う。失敗したという経験値がその人の知見になる。血となり肉となり次のパフォーマンスの原動力になる。失敗するから励まし合って仲間ができる。そういうものが趣味だと思う。
カメラの話に戻すと、AFがAI化されている。でも、どんどんAI機能が発展していくと、シャッタースピードやISO感度、絞りもAIが勝手に最適化するかもしれないし、カラーエフェクトもAIが勝手に最適化するかもしれない。そうなるとユーザーはカメラを構えてシャッターボタンを押すだけになってしまう。極端に書いたつもりだが全然起こりうることだと思う。ミラーレスカメラが主流じゃない頃、ソニーのフルサイズミラーレスが登場し、今となってはミラーレス機が主流になり、デジタル一眼レフは極少数派となった。人間は便利な方、楽な方に流れていく。そうなった時、果たしてそれは趣味と言えるのだろうか。
光学的なファインダーの先に広がる世界をを己の眼球を通して脳に伝達する、己の脳が感じるままにピントを合わせる、感情の揺らぎを感じてシャッターを切る。手に伝わるシャッターの反動、耳に伝わるシャッターの音。その場の湿度、匂い、目で見える景色。五感を使うことの豊かさ、自分で試行錯誤できる豊かさ、失敗のある豊かさ、そういうものに時間や資金を投資すべきではないか。
ここまでひとつの方向から物事を書いてきたが、誤解しないでほしいのはあくまでこれは一個人が思っていることで、お気持ち表明ということだ。趣味でも最先端技術をゴリゴリ使ってタイパに優れた出来高至上主義でありたいと思う人はそうしてくれれば良い。そういう人が新製品を買うからメーカーが潤うというのもまた事実だ。映える写真をSNSにアップすることで承認欲求を満たせているのならそれも結構。だが、それが5年後10年後にもその環境が維持できているかは甚だ疑問が残る。結局他人に持て囃されるのは一瞬で自分を豊かにできるのは自分だけということだ。