2022/01/27

 新世紀のような朝が来て、まだ冷たい空気が頭の中をさわやかな緊張で染め上げる。春の風は花の気配で鼻のあたりをくすぐり、思い切り身体を伸ばしてみても、恥ずかしくないほどの青空だった。そんな素晴らしい朝が来る、そう遠くないはずの春の日を思い浮かべる。

 そのような喜ばしい朝を、最後に迎えたのはいつだったろうか。うまく思い出すことができない。想像し得る限り完璧な、新しい予感に満ちた朝、そんなものはこれまで訪れたためしがなかったのかもしれない。ここしばらくは、寝つきが悪く、眠りは浅く、時計の針に首を刎ねられるような気持ちで毎日起きている。朝は憂鬱で、重苦しく、それでいて慌ただしい。コーヒーを二杯飲みほして、ベランダでせわしなく煙草を吸って、それでようやくきりきり動き始めることができるようになる。

 朝がもたらす幻滅作用、夜が事物に添えていた神秘的な効果、秘密をほのめかす多彩な表情や玄妙なニュアンスは、あまねく朝の光に照らされて、跡形もなく溶けだしてしまう。太陽が昇ったあとには、それらはやけに白々しく、ちっぽけな使用価値の背後に引っ込んでしまう。露悪的なゴシップ記事や世界の悲惨を伝えるニュースが、なけなしの良心と感性をすっかり麻痺させた頃、イヤホンで両耳を塞いで家を出る。十代の頃に通り過ぎただけの音楽、Syrup 16gやDinosaur.Jrを、最近になって夢中で聴いている。

 本当は、朝について取り立てて書きたいことなど何一つない。最近は職場や家で、それぞれのニーズに合わせた文章を仕立て上げて切り売りする日々が続いていて、言語感覚が鈍磨していくような気がして、こうやって考えなしに、すこし工夫を凝らして文飾をほどこした文章を、無性に書きたくなったのだった。安売りした文章は、どこかよそよそしく、建前めいて空々しく、浅はかで品性のない関心が透けて見えるように思える。ひっきりなしに大量の文字列が流れ続けていくインターネットに、私もまたすでに抜け殻めいた空疎な情報を流し込み、検索エンジンを汚染していく。ふと虚しくなることがある。いつか美しくなれたらと願う。

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