「会社に所属していれば”死にはしない”と思っている自分が一番嫌だった」【前編】小宮仁至/テン職の光 #0
本noteにて、新しい特集がスタートします。
その名も「テン職の光」
「レンアイ型®採用」が目指すのは、大量採用ではなく企業と働き手の「マッチング」。まるで恋愛のように企業と人のベストマッチを目指す方針に基づき、様々な採用のお手伝いを行ってきました。
数々の社長や社員のヒアリングで見えたのは「転職によって人生を好転させた人が山ほどいる」という現実。だけど日本社会では、まだまだ転職に二の足を踏む人が多いように感じます。
その原因のひとつに「転職=ネガティブだという情報が多すぎる」があるのではないでしょうか。ならばポジティブな転職や、働き方を変えたことで人生が好転した人を伝えよう!ということで始まったのが本特集。
特集では、転職や働き方チェンジで人生が好転した人を、外部ライターが取材します。
第1回目をはじめるその前に...。0記事目として、まさに働き方チェンジで人生がガラリと変わったファンシップ株式会社代表・小宮仁至(こみやひとし)の物語を取材!
沖縄県内600社以上の採用相談・解決を行い、「西表島のスーパーに正社員2名採用」「コンサル後7年が経過しても採用に困っていない保育園」など異例の実績を残す、独自メソッド「レンアイ型®採用」誕生ヒストリーを前編/後編の2部構成で記事化しました。
【前編】では、働き方や今の職場環境など「今」に悩む人へのヒントが。【後編】では「自分らしく働くってどういうことか」のヒントが散りばめられています。
〈取材・執筆:三好優実〉
起業のきっかけは野心ではなく「さすがにうまくいってなさすぎるだろ」と思ったから
ー起業前は会社役員だったと聞いていますが、当時から採用業界に携わっていたのでしょうか。
小宮:採用は全然やってなくて、前職もその前も広告営業をやっていました。10年くらいかな。一番直近の前職では、広告系の会社の取締役をやっていました。
ー取締役!すごいですね。
小宮:小さい会社だったから、取締役と言っても名ばかりです。大学生の頃から、なんとなく「起業したい」みたいな気持ちが強くて、ずっとスモールビジネス界隈をウロウロしてたんですよ。前職の前もベンチャーで役員をやってたり。
ーなるほど。では前職を辞めて起業したのは、満を持して、ですか?
小宮:いや、当時は役員で一生終えてもいいなって思ってたかも。少なくとも、いつか起業するぞと思い続けてはいなかった。辞めて起業したのは、満を持してというよりも嫌になって逃げたって感じです。
ー嫌になって逃げた。
小宮:ある時期から会社の業績が落ち込んでしまって、その結果役員報酬が半分になったんです。僕は当時30代半ば。第二子の妊娠がわかった頃です。これはやばいぞと思いました。
ーそれは焦ります。
小宮:お金だけじゃなくて、実は仕事そのものにも4年くらい悶々としていたんです。取締役といえど、実際は普通の社員とほぼ同じだったんですよ。権限がほとんどないし、やりたいことが全然できなかった。業績悪化に伴い、ついに日報を書かされるようになったりして。信頼されていないなと感じました。だけど面と向かって不満を言えるほど、僕自身が活躍できていなかった。
ーなるほど。その時、どんな気持ちでしたか。
小宮:息苦しかったです。やれる選択肢も少なくて、自己決定感もない。パフォーマンスは下がる一方。苦手な仕事(日報)が増えて、給料は半分。さすがにうまくいってなさすぎるだろと(笑)。さすがにいい歳こいてこれはダメだろって。
ー今の小宮さんからは想像もできないです。そこから起業に至るきっかけは何かありましたか?
小宮:振り返れば、会社から「自分でビジネスして稼いでもいいよ」と打診されたことがひとつのきっかけでした。半所属/半独立みたいな。あ、チャンスかもって思いました。そこで飲み会を開いたり知人と話をする時間をつくってみたんです。そしたら営業しなくても自然な依頼がくるようになりました。制作会社から「うちのフロントやってくれない?」って言われるとか。やってみると、前職と同じことをしているのに感謝されて、それがひとつの小さな成功体験になったんだよね。とにかく僕がなにかやろうとすると、繋がることがあるんだって思った。
思えば昔から、生きてるだけで「自分でやらないの?」とか「いつか独立するんでしょ」とか言われる人生でした。そういう気配が出てたみたい。その自覚ができたから「起業」を現実的に考えはじめました。
「嫌だけど会社に所属してさえいれば“死にはしない”と思っている自分が一番嫌だった」
ー起業意欲がわいてきたんですね。
小宮:そんな積極的なものじゃなくて、どちらかというと「このままグチグチ言いながら人生が終わるのか」って途端に嫌になった感じかなぁ。自分がこれまで「こうはならない」と思っていた人物像になろうとしてる。挑戦していたくてベンチャーやスタートアップを選んできたのに、結局リスクを恐れてしがみついてるじゃん。それなら最初から、安定を求めて生きればよかったじゃんって。
ーなるほど。起業するぞではなく、このままじゃダメだ、という。
小宮:そうそう。もっと見た目的に困ってたらいいんだけど、外から見たら「取締役」だし「いつか独立しそうな人」でしょ。実態が伴っていないんです。周りはなんかやりそうって思ってるのに、自分は自分のことを信じられていない。「みんなはそう言ってくれるけど、"その自分”をちゃんと使ったことがないな」って思った。瞬間的には使ってたんだけど。
ー瞬間的にとは?
小宮:たとえばイベントとか、創業当初の売上がナンバーワンだったとか。ポイントポイントでは結果が出せるけど、持続力がない。自分がなにかできるって気持ちはあったんだけど、どう使っていいのか分からない。原石のまま終わってしまう感。
ー小宮さんがよく言う「やりたくないことはやらなくていい」って言葉はその経験から来てるのかもしれないですね。
小宮:うん。そうかも。いいと思えないものを売るとか、こっちの方がいいって思ってるのに提案できないとか、そういう小さな不満を抱えて仕事をするのが本当に無理。だけど小さな不満を抱えながら生きていくのがサラリーマンだと思ってた。
だけど気づいたんです。僕は不安には耐えられるけど、不平不満には耐えられないんだって。それなら、不安でもいいから不平不満を減らせる働き方がしたいなと思いました。怖がって、踏ん切りをつけないのが一番よくない。
求人市場に目を付けたのは、知人の何気ない一言がきっかけ
ー起業はどのタイミングでされたんですか?
小宮:しばらくは自問のため、色んな人と会ったり本を読む時間に充ててました。そしたらある日「求人とか採用とかできないの?」と知人にぽろっと言われたんです。その時はピンとこなかったんだけどね。求人広告って、それこそ時間と場所と給料しか書けないって思ってたから。一番クリエイティブな表現ができない分野だって思ってました。だけどまぁ、言われたからちょっと見てみるかと、試しに求人誌を見てみたんです。驚きました。
ー驚きました?
小宮:誌面がぶ厚かったんです。当時2015年くらいだったんだけど、僕が長くやってきた広告業界では、スマホの登場によって紙媒体が衰退してたのに。求人誌を見ると、何百ページもあったんですよ。なんでこの業界はこんなに刷られてるの?って思いました。しかも3誌!広告費と掲載数を計算してみたら「めっちゃ儲かってんじゃん」ってびっくりしました。
ーたしかにフリーペーパーでお店を探すことはなくなりました。そう考えると求人誌の分厚さって異色ですね。
小宮:そうそう。前々職で美容系のフリーぺ―パ―をやってた時は、BtoCの商売してる方々だけが広告主だから、同業社で同じパイの奪い合いだったんだけど、求人誌には延々とあるんだなって。こんなに沖縄に会社ってあったのかと思いました。衰退したと思ってた紙媒体で元気にやってる業界。しかも代わり映えがしない広告ばかり載せてる。これは穴があるぞと思いました。チャンスがどこかに潜んでるって。「よし、求人でやろう!」
ーそれで未経験の求人業界に!すごい行動力です。
小宮:それくらいで決めないと、メンタル追い込まれてたからね。イメージも湧いたんですよ。広告業界の経験を活かしながら、軸足をずらすのはアリだなと。
→後編へ続く
【予告】
後編では、起業後も再び失敗しつつ思考を繰り返し、現在のレンアイ型®採用に辿り着いた小宮さんの第2期転換期をお伝えします。何度も「自分」を捉え直し、「自分」が活きる働き方に辿り着いた小宮さんの歩みは、「自分らしさ」や「心地よく働くこと」に向き合いたい人のヒントになるはず。ぜひご覧ください。
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