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私なりの中庸の取り方


中庸っていきなりよくわからない単語だけど、
意味は辞書で調べると、こんな感じ。

中庸   ちゅう よう 【 名 ・形動 】
考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であること。
過不足がなく、極端に走らないこと。
また、そのさま。
古来、洋の東西を問わず、重要な人間の徳目の一とされた。中道。

 要はバランスがうまく取れている状態ということ。

でもこれって口で言うのはとても簡単だけど、体現するのはとても難しい。
そもそもバランスってどこだよってなる。

だからこの記事では
a) 私にとって中庸(バランス)って親しみやすい表現でどんな状態なのか
b) 私がその状態を保つために何をしてるのか

を共有してみたい。

全く関係のない話だけど、
今日歩道橋から見た夕焼けがとても綺麗だった。

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さて本題に戻る。
まずは中庸って何か。
これは常に留まっている状態っていうよりも変化の過程で通り過ぎる地点
だと私は思ってる。

当たり前だけど、端から端まで歩いたら、その真ん中は絶対通る。
んじゃそこの真ん中を自分の中で把握して留まっておけばいいじゃんって思ってたけど、実はそうでもないと言うことに気がついた。

なぜなら環境も自分も常に変化していくから、
真ん中が常に変化し続ける。
だからその状態でい続けるって言うのはほぼ無理なんじゃないかって。
甘いもの好きでも毎日食べてれば飽きる。
好きな子とずっと一緒にいたいと思ってても、ずっといれば一人になりたくもなる。
だから中庸を状態として捉えるのではなく地点として考える。

そしてその点をたくさん通るようにする。
そこへの行き方をたくさん学ぶ。

観念的な話でわかりづらいから少し例をあげる。
例えばサウナ。
サウナの中で暑い熱気に包まれて溢れる汗を感じながらじっと耐える。
そこから扉をあけて水風呂に浸かる。その瞬間にキュッと身が締まり身体の内にこもった熱がスーッと心地よく溶けていく。

サウナにじっと入ってたら暑いし、水風呂に使ってたら寒い。
でもその間を移動することで自身にとって気持ちの良い状態を過程に作り出すことができる

私サウナあまり好きじゃないから、適した例ではないけれど。

この流れでどうやって中庸を保つかの話をすると、
私なりの方法は

⑴ 対局にあるものを両方取り込むこと。
⑵ そして自身の状態を認識しておくこと。


対局にあるものっていうのは、
例えば、自然と都会・知人と初見・孤独と集団・甘味と塩見・傾聴と主張・国内と海外・娯楽と芸術・資本主義と社会主義・無宗教と信仰

こうやってそれぞれの背反しあうもの同士を取り入れると、
対局にあるものって同一線上にあることが多いから、
両方を味わう過程で心地良いところが見つかる。

でもそのためには自分が今どっち側に傾いてるのかっていう自己認識がないとどっちを取り入れたらいいかわからなくなる。
だから2つ目の自身の状態を認識しておくことが大切になる。
あ、最近新しい人と会ってないな、とか
自然の中歩いてないな、とか、仕事のことばっかだな、とか。
もし分かんなくなった時は両方食べて見るのが一番単純。

大学のお世話になった教授に教わったことで感心したことの一つが
本の読み方で、
「あることを主張している又は肯定している本があったら、それについて反対のことを言っている本も読みなさい、その上で自分の考えを決めなさい」
と言われたんだけど、その時大学4年生だったからもっと早く言ってよ、とか思ったけど、始めるに遅すぎることはなくて、

中庸の話とは少しずれたけど、偏らないっていう意味では通ずるところがあると思う。

私は大学4年間東京で過ごして、都会の息苦しさが嫌になって小豆島に移住したけれど、2年ぐらいたってまた東京に戻ってきた。

今は前に感じた閉塞感もなく、東京でのびのび生活できている。
今の状態が、中庸かと言われたら、今のところはそうだけど、
また多分東京が嫌になる時期はくるのだと思う。

だから常に動き回っていたい。
いろんなところに行って、新しいことや、珍しいものや、
心が踊るようなことや、しみじみすることや、悲しくなることでも、
とにかくあちこち心身共に動き回りたい。
そうすることで私の中庸は保たれる。

今は大周りしながらでも、そのうち歳を重ねるごとに、
小さい範囲で器用にバランスを取れるようになれる気がする。

少し長くなってしまったけど、
貴重な時間を割いて、最後まで読んでくださってありがとうございます。
お役に立てたことを願います。


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