森の死 改めてドイツと森を想う
1981年11月、ドイツのニュース週刊誌、シュピーゲルが「森は死ぬードイツを被う酸性雨」という表紙タイトルで「森の死」特集を組みました。
工業化や都市化に伴って引き起こされた公害が深刻化し、「まず森が死に、次に死ぬのが人間だ」という考えがドイツ国内で広まり、一般の人々が皆、やがては全ての森が死んでしまうと思うようになってしまったのです。
大気汚染や酸性雨といった環境問題は1970年代から世界的にクローズアップされるようになりましたが、この問題はドイツに限ったものではなく、勿論、樹木だけの問題ではなかったのですが、「森」の問題にドイツ人はとても敏感に反応したのです。
森の死はドイツ市民のあいだで環境保護意識を高めるきっかけとなり、環境、エコという言葉が急速にポピュラーになっていったそうです。
環境問題への取り組み、森林の成長量を越えない伐採、樹木自らの回復力などから、実は、80年代90年代には既に将来すべての森が死に絶えることはないと判明し、報じられてもいたのですが、メディアで大きく取り上げられることはなく、2003年になってやっと公的・政治的に終息が公表されました。
ドイツ人の森への思い入れは環境意識を活発にし、環境問題を政治のメインストリームにもちだします。
ドイツの環境政党と言えば「緑の党」ですが、この政党は環境意識の高まった1970年代の半ばから末期にかけて、主に右派や保守派の環境保護グループが中心となって組織され、結成は1980年。現在はBündnis 90/Die Grünen(同盟90/緑の党)として活動しています。
実際、人口の増加や工業の発達による森の被害は古くからあり、最初の兆候は中世にまで遡ります。
19世紀になると森林被害は工業化や鉱物採掘の煤煙などにより、よりはっきりと影響が現れるようになりました。
健康な森というものはあくまでもイメージであって、歴史上一度として存在したことはないそうです。逆に、病気の森というのはいつの時代にも存在しているのですが、その森がすぐに枯死するとも限らなかったのです。
木質燃料の収穫のため、伐採や造林が行われた結果、ドイツの森には人の手に触れられたことのない原生林はほとんどありません。
自然愛好家たちが原生林として愛するものは、実は人の手に支えられた伝統的な文化景観で、森を愛し、森を育てるというドイツ人の長い伝統の末、生み出されたものなのだそうです。
それ故、森の危機に対し一際大きな活動が起きたのでしょう。「森の死」現象が起きたのはドイツだけ。しかも、当時生まれた、Waldsterben(森の死)という言葉は翻訳されることなく、英語やフランス語でもそのまま使われています。
森は数千年前から人に利用され、変えられてきています。樹木の成長を促すように下草を刈ったり、十分な日光が届くように間伐が行われることによって、森は豊かになり、多様性が保たれていきます。
このような人の営みを、ひとまとめに自然や環境の破壊と一緒にすることはできないのではないでしょうか。
この密かな手入れのおかげで、今日もまた、素敵な森の散歩が楽しめているのですから…
ドイツの民謡で「もみの木(O Tannenbaum)」という歌があります。クリスマスに良く歌われる歌で、夏も冬も変わらず緑の葉(Blätter)が茂っている…と歌詞にあるのですが、ある時、とあるドイツ人に「もみの木は針葉樹なので本当は広葉(Blätter)じゃなくて針葉(Nadeln)でしょ。」と、ぼそっと言われました。いや、だから、どうしろと…
参考文献:
木材と文明 ヨーロッパは木材の文明だった
ヨアヒム・ラートカウ 著
森のフォークロア ドイツ人の自然観と森林文化
アルブレヒト・レーマン 著
グリム童話と森 ドイツ環境意識を育んだ「森は私たちのもの」の伝統
森涼子 著
2022年3月5日 啓蟄