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森林資源はみんなのもの 使い方には気をつけて… 【日本・中世】
天皇や貴族の支配によって栄華を誇った平安時代。様々な記念建築物が建てられ、その繁栄が誇示されていきました。
やがて、政治権力は武士に奪われ、将軍の時代、さらには戦国時代へと移っていきます。
中世に入ると日本の人口も大きく変化。1000年には約650万程であった人口が、1600年には約2倍の1200万超に増加したと言われています。
人口の増加に伴い、支配者層とともに庶民による木材消費も様々に進んでいきます。
経済が発展し、食料、燃料、衣料、住居への需要が膨らみ、木材に対する消費が高まります。食糧増産のため森林を切り開き、農地を拡大していくのですが、林地は単に開拓されるだけでなく、野草や柴が肥料として使われていきます。
また、森林や草地を開墾する手段として、焼け跡に残る灰を肥料として土壌の回復をはかる焼き畑も行われていました。
時代を鑑みれば、鎌倉、室町といった武士の時代には、刀や甲冑といった武具が必需品となっていきます。武士が必携する刀の精錬のため良質な木炭への需要が高まり、さらに、鎧兜、槍の先、矢じり、短剣といった武具に加え、やがては火縄銃や大砲といった武器の製造にも木質燃料が必要とされていきます。
一方、12世紀には日本と中国の貿易が復活。日宋貿易では金銀といった鉱物、硫黄、工芸品などの他、木材が主な輸出品として取り扱われていたそうです。
国内外、あらゆる階級から、様々な用途に消費された木質資源。
林産物需要がめざましく増加する一方、保護や管理にはあまり力が入れられていなかったようです。
とは言え、深刻な森林不足に陥らなかったのにはそれなりの理由が挙げられています。
当時、人口増加などにより庶民による木材需要が増えたものの、その需要は深刻な影響を与えるほど極端ではなかったこと、社会的支配層が国内各地の森林資源を収穫し尽くすほどの力を持っていなかったこと、地形的な問題として険しい山林での伐採が困難であったことなどに加え、欧州との大きな差異として酪農文化の有無が挙げられています。
中世の日本には肉やミルクを生産す習慣が無かったため、家畜の放牧による被害(下生えが踏みにじられると山腹の土石を保持している根が傷み、大雨や雪解けの際に表土が失われ植物が育たなくなっていく)が生じなかったそうです。
欧州の事例ですが、現在、自然保護区として知られるドイツのリューネブルク近郊にあるリューネブルガーハイデ(荒野)はリューネブルクの製塩業と家畜の放牧によって生まれた広大な荒地です。
需要と供給のバランスは微妙だったように思いますが、時間が経てば再生する、木材はまさに持続可能な資源なのですね。
とは言え、続く時代には未だかつてないほどの森林資源の大量消費が行われていくことになるのですが…
参考文献:
日本人はどのように森をつくってきたのか
コンラッド・タットマン 著
Ⅰ 採取林業の千年 / 第2章 中世日本の森林と林業 - 1050 - 1550年
2022年4月20日 穀雨