樹があるから水が保たれるのか 水があるから樹が育つのか
木漏れ日の下、鳥のさえずりが遠くに響き、爽やかな風が吹き抜けていく…とても素敵な森の情景ですが、これは人の手入れがあってこそ。
豊かな自然と言っても、人の手の入らないような原生の森で癒しを得るのは至難の業。
鬱蒼とした藪を分け入れば、生い茂った樹々の枝葉が明るい太陽の光を遮り、薄暗い足元にはハチ、ヒル、ダニといった虫たちがウロウロと…
手つかずの自然、といえば聞こえは良いですが、実際は人を寄せ付けない危険で厄介な場所なのではないでしょうか。
森に限らず、どうやら人は自分の都合で自然を判断し、規定しているようです。
人にとって恵みとなる森の機能には、水の量に関する洪水緩和機能、渇水緩和機能があります。水害や水不足に対して有効で、治水・利水の観点や水質を浄化し保全する機能と併せて、森を「緑のダム」と呼んだりしています。
一方、人の都合とは関係のない森の作用には、雨水を一時的に貯留しゆっくりと流す平常化作用、雨水を一時的に貯留し根から吸い上げ幹を通し葉の気孔から蒸発させる蒸散作用、雨水を葉や幹に一時的に貯留し直接蒸発させる樹冠遮断作用があります。
平常化は一時的に貯留した水をゆっくりと川に流していくので洪水対策にも渇水対策にもなりますが、蒸散・樹冠遮断(蒸発)は水を川に流さず蒸発させるので、洪水対策には有効ですが渇水には役立ちません。
かつて日本では森が雨を呼ぶという思想がありました。木があるところには雲や雨が集まりやすいといった考えですが、日本に降る雨のほとんどは、海から蒸発した水蒸気が運ばれたもので、陸地で蒸発した水蒸気の割合は極めて少ないそうです。
日本の雨は、湿った空気が山にぶつかって上昇し、冷やされた水蒸気が雲となり降ってくるという地形性降雨。
山が雨を降らせていると考えられるので、日本の山地には多くの森林がありますが、山から森が無くなっても山が無くならなければ降水量は大きく変わらないと言われています。
という事で、日本での森と雨の関係は、雨があるから森があると考えて良いようです。
但し、場所が変われば事情も変わる… アマゾンのような内陸の森では陸地に降る雨のうちかなりの割合が、その場で蒸発した水蒸気から生成された雲から降っています。気候モデルによるシミュレーションも行われているそうですが、このような場合は森が無くなるとその場で蒸発する水蒸気の量が減り、降雨量に影響が及びます。
一方で、大陸スケールでは内陸が湿潤であるから森があるというこれまでの定説を覆すような、森があるから湿潤になるという説も出てきました。
海岸から内陸に向かって森が連続していれば、水蒸気が海から内陸に運ばれるという、バイオティック・ポンプ仮説です。
天然の森は海面より蒸発量が大きいので、水蒸気が雨になる凝結によって気圧が下がると、海岸周辺の空気が風になって内陸に流れ込む、つまりは蒸発力が水蒸気輸送を促すという新しい理論ですが、学会ではまだまだ議論中だそうです。
緑の森は豊かな水源や土壌への保水を連想させますが、樹木は生きていくために多くの水を必要とします。
林業が衰退し森が放置されると、木の密度が高く、樹冠が閉鎖した、保水力の低い森になります。
さらに土壌が貧弱であったり、シカなどの野生生物が下層植生を食べ尽くして土壌が流出すると、森の中の土が乾燥し、水消費型で総保水力が低い森、すなわち緑の砂漠となってしまいます。
また、植樹にも多くの水が必要とされるので、砂漠の緑化には注意が必要です。
かつて樹木が生えていた地であれば、なぜ砂や土壌がなくなったのか原因を調べ対策を講じ、砂や土壌を回復させていかなければなりません。
水が少ないからと言って、根を深く張り、地下深くから水を吸い上げる力のある木を植樹すると、樹木が周辺の地下水を取り込むことで水不足が起こり、樹木と人間が水を取り合う関係になってしまいます。
ドングリを植えることによって荒れ地を緑の森に蘇えらせた話に「木を植えた男」があります。フランスの作家ジャン・ジオノの短編小説で、絵本やアニメにもなった素敵なお話ですが、この物語はフィクションです。
木を植えることは良いことだと思い込む植林神話。
植林される地域社会によって、もたらされる結果は異なります。
いずれにせよ、人が植えた木は継続的に管理し続けなければ、林や森に育っていくことが難しいのです。
一本の樹が育つのには数十年という年月がかかります。
森の育成や管理にも長期にわたる継続や視点が必要なのではないでしょうか。
参考文献:
森の「恵み」は幻想か
科学者が考える森と人の関係
蔵治光一郎 著
2022年7月23日 大暑
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