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世界に誇る建築物 を造るために行われたこと 【日本・古代】

趣味、ご縁、興味など、色々あってドイツの森林について読んできましたが、そろそろ日本の森にも分け入ってみましょう。

緑の列島、木の文化を育んだ国などと言われるように、豊かな森林に覆われた日本にとって、木材は豊富な天然資源です。

歴史ある木造建築も多く建てられていますが、その中でも最も有名な建築物はなんと言っても法隆寺(607年創建)。
現存する世界一古い木造建築物とされ、同じ敷地内にある五重塔は世界最古の木造の塔と言われています。
1993年には「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産にも登録された文化遺産ですが、その成立にはとんでもない量の森林消費があったそうなのです。

他の国々同様、日本も古くから農耕や冶金で木材を消費していました。
鉄器の製造、館の建設、造船などに加え、古墳で発掘された土器や埴輪といった窯業向け燃料など、あらゆる用途に木材は利用されていました。

大陸から進んだ建築法が入ってくるまでは、日本家屋は地面に直接柱を立てていたため、シロアリや腐食などによる被害のせいで、家屋には定期的な改築が必要だったそうです。建物の強度も低かったため、相続や代替わりなどの節目に清めの儀式と共に多くの屋敷が新しく建て直されていきました。

やがて、大陸の先進技術がもたらされるようになると、空前の規模の建築ブームが起き、日本の歴史の中で古代の略奪期とまで呼ばれる程の深刻な森林消失が畿内地方で起こっていきます。

飛鳥時代以降、壮大な神社仏閣に大仏建立、豪華な宮殿や御殿など様々な記念建築物が建てられていきます。当時は、遠隔地から大径木を運んだり、大量の木材を輸送することは技術的にも政治的にも困難であったため、畿内に隣接した山地の高齢林は片端から伐採されました。

森林資源の減少により、建築の方法や木材の利用法も次第に変化。大径の一本木や上質な木材の減少により、端材の使用や古い屋敷の建材を再利用するようになるなどの他、板葺きから檜皮葺きの屋根へ、木製から漆喰の壁へ、美しい木の床から粗い板張りの上への畳敷きへ、といったように建築様式も変わっていきました。
また、仏像も、時代が移るにつれ、一木造から寄木造りへと変わっていくのです。

平安京が造営される頃には畿内周辺では建設用木材がほとんどなくなっていたそうで、その後の遷都が行われなかった原因の一つには建材不足の問題があったと考えられているほどです。

政治や宗教だけでなく、資源問題も都の立地や造営に関係していたのかと思うと、目からウロコとともに、思わずとんでもなく気が遠くなってしまいました。
学校でこういうことも併せて教えてくれると、語呂合わせの年号暗記だけじゃなくて、もっと深く記憶に残ると思うのに… 残念。

参考文献:
日本人はどのように森をつくってきたのか
コンラッド・タットマン 著
Ⅰ 採取林業の千年 / 第1章 古代の略奪期 - 600 - 850年

2022年4月5日 清明

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