貧乏の話
大人になってから貧乏を経験した。
学生の時は、実際のところ家庭の経済状況がどんなもんだったのかはわからないけれど、とくに不自由なく育ててもらった。
進路やほしいものに対して、金銭的な理由で却下された記憶はほとんどない。(ゲームとか、やたら高い服とかはさすがに却下された気もするが)
お金がないつらさってこういうことか、とわかったのは会社員をやめて勢い任せに上京してからだ。
お金がないと、とにかく何もできない。
選択肢が狭くなるというのは本当にそうで、何かするにもお金がかかるんだなというのを痛いほど実感した。
例えば、1駅分の電車賃もないのでどこへも行けないとか。
バイトの面接や、出勤ですらキツイ。
クリエイターはお互いのグッズを買って関係を作るところがあるが、グッズを買うなんてとてもじゃないけどできない。とか。
(グッズを買い合うことに関してのいい悪いはさておき、そういうところから始まる交流は存在する)
結果、誰とも関係を作れずチャンスを逃すとか。
もちろん作品の出展も有料だとできない。
とにかく活動の幅が少なくなる。
支払いサイクルが破綻して、いろんなお金を滞納するとかも胃が痛くなる。
選択肢の狭まりと、滞納が重なるともう本当に身動きが取れない。
身動きがとれず、ろくな生活を送れないけれど、生きている。
生命活動だけは続いている。
このつらさは貧乏特有だなと、今になって思う。
少し話が変わるけれど、祖母は貧乏を経験した倹約家だった。
収入も年金もそんなになかっただろうに、多くはないがまとまった額の遺産を残すという倹約家として素晴らしい実績を残していった。
それから、私たち孫のお金の心配をずっとしていた。
戦争・戦後を生き抜いた祖母が経験した貧乏は私よりもつらいものだったのかもしれない。
言葉にはしなかったが、貧乏のつらさを私たちに味わってほしくなかったのは痛いほどわかる。
貧乏にも程度があるから、私より、祖母より、つらい思いをしている人も世の中にはいると思うが、私の経験した程度の貧乏でも、もう二度と味わいたくないと思う。
貯金がいかに大切かを身に染みて理解した。
老後のことを考えずに、今を楽しむためにお金を使いたいという意見を見かけるが、私はもう怖くてできない。
どう考えても、圧倒的に、貯金があるということは強いのだ。
というか、甘い見通しでお金を使った結果の貧乏なので、今を楽しむためだけにお金を使い果たしてはいけない。使い果たすレベルまで行く人はあまりいないだろうけど、私みたいなアホは慎重にお金を貯金して使い道を考えないといけない。
貧乏のつらさは貧乏じゃなくなると、少し感覚的に鈍くなる。
収入が安定してきて、返済しないといけないお金も減ってきたので改めてここに書いた。
書いておかないとまた繰り返しそうだから…。
私はちゃんと貯金をして、慎重にお金の使い道を考えていくぞ。
今日はここまで。