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自分の時間割で生きる
年間遅刻数97回。
中学3年生当時、私が弾き出した記録です。
あと3回で100だったのに。惜しい。
いや、そういう話ではありませんね。
数は忘れましたけど、早退の数もまあまああったはず。
友だちがいて、いじめにもあっていないのに、なぜ、そんなことをしたのでしょうか。
今思えば、自分にとって無駄な時間を過ごしたくなかったんだと思います。
自宅から中学校までは、全速力で自転車をこいで25分くらい。
遠からず近からずというところでしょうか。
道路状況が悪く、よく自転車のタイヤがパンクしておりました。
また、このころは、給食を食べきらなければならない、牛乳は絶対に飲まなければならないという時代でして。
牛乳をまったく受け付けない体質なので、飲んだら最後、気持ち悪くなるかお腹が痛くなるかという、毎日が不健康状態でした。
これは小学校のころからずっと。いわゆる保健室常連組です。
これだけでも遅刻早退の理由として成り立ちますね。
ほかに理由として思い出すのは、自分のペースで勉強をしたり、人生を楽しんだりしたかったから。
中学2年生の冬まで、私はろくに勉強をしていませんでした。
進路について考えた時、今の成績じゃ地元の半ヤンキー高校にしか行けないという現実にぶち当たり、心を入れ替えたのです。
勉強をする時間をかなり増やし、少しずつですが結果を出すようになりました。
それまでも遅刻や早退をちょくちょくしていたのですが、心を入れ替えたらもっと増えてしまいました。
たくさん勉強をすると、大好きな読書やレンタルビデオ鑑賞の時間が無くなってしまいます。
大事な趣味に費やす時間は絶対に必要。
そうなると、学校なんか行っている場合じゃなくなるんですよね。
こんな理由で遅刻と早退を繰り返しておりました。
家族はどうしているのかって?
両親は仕事でいないし、姉は隣の市にある高校へ行っているので誰も気づきません。
母が実情を知ったのは三者面談の時ですが、特に叱られもせず。
いや、叱られたのかな?
遅刻の数にただ驚いていた記憶しかありません。
当時は家族全員忙しかったので、私の遅刻にいちいち何かをいう暇もなかったのでしょう。
こんな具合で学校へ行っていて、志望校なんて受かるわけがない、先生が受けさせてくれるわけがないと思う方もいらっしゃることでしょう。
まあ、普通そうですよ。
人の心を動かすくらい勉強して、意思を伝え続ければ、周りの人って動いてくれるんです。
優等生であまり意思がない人より、「絶対にこの学校じゃなきゃ嫌」、
「下の学校受けて合格するくらいなら、志望校を受けて落ちる方がいい」と
鼻息荒く訴えて結果を出す人を応援したくなるものでしょう。
担任の先生がそういう気持ちだったかどうかはわかりませんが。
たぶん、そうだったんだと思います。
私は自分の時間割で生きた結果、志望していた進学校に合格できました。
最後は情熱が勝つと体感した出来事でした。
何かに情熱を傾けていると、本当に孤独って気になりません。
新学期を迎えるのがしんどいお若い方々。
自分の時間割で生きるのも、悪くありませんよ。