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小説「水の中の八月」著・関川夏央 読書感想文

ある女優さんのことを調べているうちにこの本に出合いました。
かつて、表題作である「水の中の八月」はドラマ化されていたようです。
乱用されがちな「透明感」という言葉が良く似合う題名が残暑のお供にふさわしいと思い、手を出しました。

表題作を含めて7つの短編が収められている一冊。
この本にはある特徴があります。
すべての作品に在日朝鮮人、在日韓国人、韓国に住む韓国人など韓国に関わりのある人が必ず登場するのです。

まずは、「水の中の八月」から。
1980年代の日本の地方都市。主人公は水泳部に所属する高校3年生の男の子。
ある女の子から、同級生への恋の橋渡しをお願いされています。
この女の子がとにかく面倒くさいというか。
著者の好きな女の子の性格設定なのか、他の短編にも似た人が出てきます。
1980年の日本の地方都市にまあまあ見られた思われる高校卒業後は都会の大学へ進学を志望する登場人物たち。親の経済力ももちろん問題なし。バブルだったので可能だったのでしょうね。今は優秀な子も地方に残る時代です。
それはさておき、ベースがそんなのだから高校3年生でもう人生に退屈しているんです。特にその面倒くさい女の子が。礼子っていうんですけどね。
主人公に「妊娠してみたい」と過激な発言をするくせに、想いを寄せる相手には直接言わず。主人公が自分の恋への協力に積極的ではないことを責めます。
一方、礼子に想いを寄せられる相手はかなりの遊び人。親がパチンコ屋を経営している在日朝鮮人で、高校3年生で家の高級車を乗り回しています。
周りに女性がたくさんいるのに、礼子のことは鼻にもかけません。そのうち、礼子が一丁やらかします。
礼子は自分も東京の大学へ行くが、他の二人と違って卒業後は帰ってきて親が経営する会社を継がなくてはいけないという人生に怒っているのですが、そこが何とも帰り道を覚えている野犬のふりをした飼い犬という風情で終始いらいらとさせられました。
1980年代の女子高生か。今は50~60代かな。
婿養子でももらって、2人くらい子供を産んで、そのあとはつまみ食いとかしながら生きているのかなあなんて、最後は礼子に想いを馳せました。

次に「慶州バスターミナル」。
大人の男女が慶州のバスターミナルで別れる話。
男性は韓国語がわかる日本人。
女性は韓国語がわからない在日韓国人。
この男性はとにかくダブルであるとか、普通の日本人以外の人が好きなんですよ。
女性のことも昔は秀子と呼んでいたのに、素性を知ってからはスヒと呼ぶように。
それが女性の癪に触ってしまいます。
女性はハングルの読み書きも会話も出来ないのにひとりソウル行きのバスに乗ります。
その心中たるや如何に。

続いて「一九六三年の四月」。
中学三年生の丈吉が主人公。
「水の中の八月」の礼子のような少女が出てきます。
あそこまではこじらせてはいませんが。名前は澄子。
丈吉の私生活にやたら詳しくて怖いです。
「あたしがブスだと思っているわけね」とか訊いてくるし、面倒くさいです。
澄子が語るいわゆる男ウケのいい人物が江山さん。
江山さんは国語以外は完璧な女の子。
国語を勉強をしないのは家族の意向から。
江山さんの父は朝鮮人で母は日本人。
そんな江山さんに北朝鮮へ行く話が持ち上がります。
家族の一部が帰国を望んでいるから。
特に早稲田大学へ行っている兄が。
最後まで江山さんが北朝鮮へ行ったかどうかはわかりませんでした。
読んでいる間は「行かないで」と心の中で祈ってはいましたが。

その次が「感傷的七月」。
この本の前に読んだイタリア小説に通じるものがありました。
成長ごっこを繰り返すだけの日本人男性と、
ぐんぐんと大人になってたくましくなる在日朝鮮人の聡明な女性。
男性の見栄が嘘であることは、女性は最初から見抜いていたと予想。
この男性はこれからもずっと何も変わらず、女性はどんどん遠のいてしまうのでしょう。でも、この男性は女性の伸びる影にしがみついていくのだろうなと思いました。

「一九八六年の冬」。
見知らぬ相手からの電話についつい答えてしまう大人の男性が主人公。
何だか設定がバブリー。一九八六年だから仕方ないか。
「一九六三年の四月」に出てくる澄子みたいな面倒くさい女性が電話の相手。
あれ、もしかして澄子だったのかな。
でも、「祖国へ帰るつもりだった」とか「結局あたしはひとり東京にいるの」って言っているということは江山さん?
続いている話?
ちょっと怖くなってきました。

「韓国からのラブレター」。
1980年代。ソウルオリンピック前の東京と韓国の田舎が舞台。
カメラマンの日本人男性は、マスコミの中でもオシャレ界隈にいる人たちから、発展していくソウルではなく、韓国の素朴な風景の写真を撮る仕事を依頼されます。
男性は一人、韓国の田舎を旅し色んな人や事柄と出会います。
粗悪なトイレ、監視社会、何かと女性を斡旋しようとする宿の女性、
海岸からゲリラやスパイが上陸するとか日本には豚と羊はいるが牛は全部輸入らしいですねとか話す兵隊。

男性は、その合間に自分の浮気が原因で離婚した元妻に手紙を書きます。
元妻が一度も訪れたことのない彼女の祖国へ来ているということ。
浮気相手とはあまり会わなくなっているということ。
寂しいから娘たちにまた一緒に暮らす気は無いか訊いてほしいこと。
勝手な言い草が続きます。
家族の再会は描かれませんでしたが、たぶん、手紙は途中から読まずに捨てられたのではないでしょうか。
男性は、元妻は自分が出会った在日韓国人としては二人目だと言います。
一人目は大学時代の同級生だった男性。
彼のことを語る時、この短編集が綴られた理由のようなものが初めて読み取れます。それでもまだその本意はしっかりとはわからないのですが。

最後の作品「青い流れのその向こう」。
ある日本人男性が子供の頃を回想しています。
幼い頃、父親と写生をするために出かけるのですが、
道中で女優の芦川いづみに似た草色のワンピースを着た女性と合流します。
三人は川沿いの旅館に身を寄せます。
風呂に入ることを促され、入浴後部屋に戻ろうとしますが、二人が話し込む間になかなか入れません。
勇気をもって部屋に入るものの、今度は外で写生をすることを勧められます。
主人公はそれを拒否し、部屋の中で絵を描き始めます。
「祖国」だとか「帰った方がいい」「優秀なんだから」など、父親は女性に話しますが、彼女はあまり賛同しません。
やがて、女性と主人公は外に出て川へと向かいます。
主人公は女性の姿を絵の中に描き残すのでした。
父親とこの女性は不倫関係なのでしょう。
また、この女性は北朝鮮にルーツがあります。
今度、北朝鮮へ戻る第一船が出るから、君のような優秀な人は帰った方がいい、2、3年後くらいには日本に来れるだろう、とか都合のいいことを並べ立てたり、北朝鮮関連の本について語ったりと、目の前にいる北朝鮮の人よりも饒舌なそれまで知り得なかった父親の姿が露わになり、深い意味は読み取れないけれども、幼い主人公の心に不快感が漂い始めます。
最後に絵の中へ女性を住まわせたのは、父親への反感と母親へのメッセージだったのでしょう。二人はそれに気づいていたかどうかはわかりません。

あとがきによると、作者は1970年代あたりから朝鮮文化に興味をもったそうです。
それから在日朝鮮人、在日韓国人の方と交流を持つようになったのですが、いわゆるそれまでに発行された「在日文学」に出てくるような人たちがその中にはいなかったそうです。その「在日文学」へ出てくるような人たちがどのような人となりであったかについては言及されていません。
ただ、作者が出会ってきた彼、彼女らは極めて優秀な人が多かったそう。
そこで、作者は自分が出会ってきた在日の方々を参考に小説を書かれたようです。
日本人が書いた在日文学を読むのは私自身これが初めてです。
私が在日文学に初めて触れたのは梁石日の「血と骨」。
調べたところ、2001年発売でした。
確か、そのあとがきにこの作品で在日文学が変わったというようなことが書かれていたと思います。
「夜を賭けて」など、他にも在日文学を読みました。描かれている世界観はよく似ています。それ以前のものがどのようなものであったかは知りません。
日本人が書く在日文学という分野は在日朝鮮人と在日韓国人のインテリジェンスが礎にありました。













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