気持ちに体力ついていかない問題
2023年も残り2週間。
年始に目標立てたりするアレ、私は苦手だ。
なんでも現状維持、いまよりちょっと心が楽に生きられる日々であればいいなと思っている。(毎日つらいとか、特別ストレスを抱えているわけではないけど)
目標立てちゃうと、達成できなかったときに【できなかった】が残るのが嫌なんだと思う。
人が成長するのは「できた喜び」が経験となるかららしい。
それも十分にわかるのだが、もう大人なのである程度の「できる」「できそう」「できない」はやる前から判断できる。
さらに「できそう」は「時間があればできる」「ここまでならできる」「この道具あればできる」「やりたくないけどやる気になったらできなくない」と細分化して考えらるし
「できない」は、もうできないのだ。
今から総理大臣目指すのってどっちだろうか。
「できない」けど「できなくない」かもしれない。
そもそも、私は面倒なことが大嫌いである。
一番嫌いなのはお金の管理だ。厳密にいうと計算が大の苦手である。
病気なんじゃないかのレベルで嫌いだ。
国家予算がなんちゃら、さらには外交。
ケンカしないように、損をしないように、交渉とかもーえーえーえーえ。
なかよくしよー。みんな平等~!
とは言いつつ、人間が平等にいることは大変難しい。権利があるとかの話ではない。
環境や考え方、持っているものが違うから。人は平等ではない。
違っていいと思っている。
男尊女卑、ジェンダー、これらがフラットになるのもなかなか難しいと私は思う。
「女の子らしくしなさい」
これは子育て中、娘には絶対に言わなかった。
一般的な「男児は青」「女児は赤」みたいなのも、先入観に入れないようにしていたので、娘は戦隊モノが好きでガンガン戦っていたし、服のコーディネートは志茂田カゲキ可していたし、息子は薬局でメイクもしていた。
話が脱線したが、これだけ千差万別の人種がいる中でリーダーやりますかって、私は絶対にやりたくない。無理。できない。
仮に、仮に!!なるためには、道のりが富士急すぎて、まったくやる気にならない。給料はいいかもしれないが、対価として「自分の時間」と「自由度」は??
好きこそもののなかれとは言ったもので「できない・できるかも」にもその要素は大きく関係する。
大谷翔平を射止めることはできるだろうか・・・そんな感じでいろんなことをフォルダー分けするだけで、もうおなかいっぱいなのである。
会社の後輩からここ数か月「異性関係」で相談を受ける。
彼女は26歳。私より一回りも年下なのだが「こういう人がいるんですがどう思います?」それを毎週聞かされる。
楽しいのだが、登場人物が多すぎて相関図が欲しくなる。新ドラマのプロモーション時に出るアレ。矢印 → ↕ こうなってるやつ。
把握しているだけで、この半年に6人くらいの男性の中から同時進行で2~3人。デートしたり旅行したり楽しそうにしているのだが、告白してもカップルにはならない。
そのたびに「今日1杯いきませんか?」「どうしたらいいんですかね」とバチェロレッテの話に付き合う。後輩バチェロレッテ美人ですし、オシャレだし、なんでパートナーがいないのか謎なくらいなんだけど
「一回落ち着け・・・」と毎回思う。
同時進行は悪くない。器用であればどんどん同時進行したらよろしい。
器用さを持って生きるには「スルースキル」や「調子の良さ」などなど細かいカテゴライズがあると思うのだけど、最近は「体力」だと感じる。
40代目前。体力の劣えが本当に否めない。
数年前まで朝方まで飲んで朝日と共に帰宅し、数時間後には出社というタイムスケジュールもポン!っとこなしてきたけど、今となっては翌日のスケジュールから逆算して行動しないとキツイ。
人間関係もそうだ。
体力が無いとコミュニ―ケーションがおっくうになる。
人と話すのって意外と体力使うんだなってこの年になって気づいた。
前まで出来ていたことができなくなる。
少し寂しい気持ちになったりもする。
だんだん、前まで出来ていたのにできなくなるが増えていくんだろうか。
失うばかりでないし、引き換えに得ることもあるはずなんだけど、今はまだわからない。気楽さは手に入れるのかも。いい意味で諦められるし。
2024年のテーマは「ペース配分」
無理しないで歩いていきたいけど、人の性分なんてそんな簡単に変わらない。
きっとハイペースで駆け抜ける1年がまた始まるんだろう。
それはそれで楽しみだ。
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