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父が死んだ日のこと

10歳の春頃、いつも通り小学校に通学し昼休みが終わりかけていた時の出来事です。
突然、学校に母が私と妹を迎えにきました。

「お父さんが亡くなった」
その言葉を私はすぐには理解することができませんでした。

その日に通夜、
翌日に葬式が執り行われました。

あっという間の出来事でした。
今でも夢だったのではないかと錯覚します。

父の死因は事故だと聞いていました。
死因はどうであれ父の死を受け入れることに10歳の自分は精一杯でした。

中学生の頃ぐらいに母に
「お父さんはどんな事故だったの?」
と尋ねたことがありました。

すると
「もう少し大人になったらお話しするね」
と返事がありました。

交通事故?他殺?自殺?
自分なりに考えましたが母が話してくれるまで待つことにしました。

時が経ち、
私が20歳を過ぎた頃ぐらいに
母が父の死因を教えてくれました。
「お父さんは自分で死を選んだ」と

なんとなくそうだろうと思っていたことを
いざ母から説明されると何とも言えない感情でした。
涙も出ませんでした。

その時はなんで妻と子を残して死ねるの?
そんな無責任なことどうしてできるの?
父を責める気持ちが大きかったです。

歳を重ねていくうちに、あの時の父はどういう気持ちだったのか?と父の気持ちを理解したいという思いが強くなっていきました。

私自身、数年前に辛い出来事があり、生きていることが辛く、涙がとまらない日々が続きました。

父も職場や家庭での悩み、言葉にできない誰にも相談できない苦しみがあったのではないかと思いました。

何気ない他人からの言葉に傷ついたり、
心が疲れ切って何も楽しいと思えなくなったり、
生きている意味がわからない。

周りからは何ともないように見えていても当事者しかわからない辛い気持ちがある。

私の父もそういう気持ちだったのではないかと思いました。

昔から私は父と性格が似ていると思います。
考え込みやすく、周りの目や考えが気になりすぎる、HSPだと思っています。

学生時代を経て社会人になり、様々な人と出会いコミュニケーションをとっていく中で本当にいろんな人がいるなと感じました。

なんでこんなことするの?なんでこんなこと言えるの?
理解できないと思う人もたくさんいました。
ですが相手からすると私の気持ちは理解してもらえないだろうし相手にとってのコミュニケーションの方法なんだと思うことにしました。

生きていく上では欠かせない他人とのコミュニケーション。
自分の心を大切にする為には考え過ぎないようにすることが大切なのだと思います。

他人のことを100%理解するということは難しいことですが、いろいろな性格の人間がいるということを知り、お互いの考えを否定せずに生きていきたいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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