熊本での4年間の記憶をつらつらと
県外での大学生活というのは、その時住んでいるまちを存分に楽しむことができる貴重な時間だったのではと、今では思う。
大学のために鹿児島から熊本に引越し、
そこからは4年間で3つのまちに住んだのは、自分でも印象的だ。
熊本市の街の雰囲気に一気に惹かれたのか、いろんな家に憧れたのか、かなり衝動的に引っ越した気がする。
引っ越したといっても、大学周辺で徒歩で10分くらいで行ける距離だ。
それでも、それぞれ少し違う面白さがあった。
はじめは、姉が住んでいた大学近くのアパート。
大学生がとにかくたくさん住んでいる「黒髪」というエリアで、
高校もすぐそばにあり、目の前のファミレス「ジョイフル」でテスト勉強をしている学生がたくさんいた。(お店的に大丈夫だったのかというのはあるが…)
大学の空き時間には帰って昼寝をしたり、
気が向いた時に友人の家に行き来しあったり、
新しい大学生活をスタートさせるにはありがたい場所だった。
となりにファミリーマートもあったから、初めての一人暮らしで、夜中にちょっと小腹が空いてカップ麺やらを買いに行っちゃうことも覚えた。
そこから1年経って春休みに入るころ、
もっと安いところに住めないかという両親の提案や
熊本に素敵だなと思う住宅地や商店街、エリアを見つけたこともあり、
別の家に引っ越してみようと思い立った。
新しいまちは、「新屋敷」という、学校前の熊本の中央を流れる白川にかかる橋を渡り、河川敷のそばにある住宅地だ。
家族で住んでる人が多く、その中に一軒家を改装してできたシェアハウスを見つけた。
大学生になって一人旅でゲストハウスに泊まるようになって、年齢や職業も違う人と話す空間に憧れ、かつキッチン、シャワー、リビングなど以外は個室でプライバシーもあり、もしかしたら自分に合っているかもしれないということで、結構思い切って問い合わせた。
引越しの距離は自転車で10分ほど。お金はかけたくなく、家具家電は要らなかったため、大きなカバンに詰めた洋服や本などを何往復もして運んだ。
布団を自転車で運んだのは初めてだった。
そこでは、ワーホリに来ている韓国人、出張で来ている台湾人、飲食店員、学校の先生、留年し続けている何をしているかはよくわからない人、などなどこれまでの自分にとってはじめて関わる人ばかりだった。
市街地にも近いこともあり、どこかにご飯を食べに行ったり、庭でバーベキューをしたり、誰かがじゃがいもの種を植えたり、お父さんのような台湾の会社員の人にルーロー飯を作ってもらったり…
掃除のこととかで少し揉めるようなこともあったけれど、帰ると誰かがいる安心感があった。血のつながりもなく、パートナーとかでもなく、干渉しすぎることもなく、たまには友達のように飲みに出かけたり、わりとのんびりと生活できたと思う。
そしてその街の良さは、河川敷が近くにあることと、映画館が近いこと。
自分が住むまちに、可能であれば映画があると嬉しい。
シネコンの中でも気になる映画が結構観ることができた場所で、
自転車でふら〜っと好きな時間に行けるのが嬉しかった。
そしてたまに周り道をしてみると
素敵な小さなコーヒー屋さんをみつけ、友人と眠くなりながらゆっくりとした時間を過ごした日もあった。
そんな色んな思い出がありながらも、
結局1年半くらいでひとり暮らしに戻ることに…
とても記憶に残る日々だけれども、
今思い返すと、多分これから自分がやりたい仕事とか、今後大学出てどうしようとか考えはじめたときに、何かもっとそういうことをひとりで考える空間が欲しくなったのかもしれない。
あと何となくテレビやラジオの仕事に憧れを感じたこともあり、単純にひとりで気兼ねなくテレビをみたいと思いたくなったのも理由かも。
シェアハウスに引っ越す時に、家具家電はほとんど売り払って、1ヶ月の尾道滞在の費用に使ってしまい、
ちょうど同じくらいの家賃で家具家電付きの物件を探した。
「坪井」というエリアで、アパートがあるところは、熊本の生活には欠かせない大好きな商店街にも行きやすく、アルバイトをしていたタイ料理屋にも、市街地にも行きやすく、家も多くすみやすい場所だった。
アパートの真横を単線の熊本電鉄が走り、アパートからその線路の横を自転車で走りながら、たまに贅沢したい日にケンタッキーに行くのが好きだった。(熊本電鉄は途中民家と学校の校門前をすれすれに、車と並行してゆっくり走る区間がある。ふと、なかなかレアな光景?と感じる。)
そのアパートに引っ越してしばらくしてからは、コロナの感染拡大のために、家で過ごす日々がほとんどだった。
就活やゼミもリモートになり、そういうことをやっている実感もあまり感じられなかった。何より、地理学を専攻していたのに、卒論のためのフィールドワークに気軽に行けなかったことが、なかなか残念だった。
それでも心が少し躍ることもあった。
近所を散歩したり、たまに頑張ってランニングすることも増え、もっと学校の周辺に住んでいたら、あまりいく機会のなかった素敵な散歩コースを見つけた。
家から白川とは違う、「坪井川」という川の方面に行き(そこの河川敷を歩くのも気持ちよかった。)、かなり急な坂を登り、そこからは普通の道路とドラッグストアなど生活感のあるところではあるが、高台にあるため場所によっては熊本市街地が見渡せたりもする。
あとはやはり熊本城の麓に近いということもあって、城の周辺を歩く楽しさもあった。
やはり坂とか高低差を楽しむのが好きなのか・・・そこは一旦置いといて、その散歩コースが気に入ってからは、日によってはいつもの商店街ではなく、あえて坂を登ったところにあるドラッグストアやコンビニに行くこともあった。
そういったいつもと違う場所にわざわざ買い物に行くという楽しさを知って、銭湯や映画館でも、あえてあまりいったことがない場所を選んでみたりと、今住んでいる東京でも続けている。
そして何より、銭湯がすぐ近くにあったことは何よりの癒しだったかもしれない。
いつまでもどこでも、銭湯があるまちには住み続けたい。
結局は実現しなかったけど、
まだまだ住みたいまちがあった。
よく行っていた本屋さんがある「新町」というエリアだ。
熊本城の近くにあり(最後に住んだエリアでの散歩コースは「京町」だった)、中心地のアーケードにも近く、多分土日とかでも郵便物が出せる中心的な郵便局もあった気がする。
その本屋さんは、古い洋風建築のような建物で、2階が喫茶店になっている。路面電車も通っているエリアだったため、2階の喫茶店の窓から見下ろすのが好きだった。電車が通る振動で建物が少し揺れるのがたまに不安ではあったが。熊本に来た人にはおすすめしたい場所だ。
熊本城の築城とともに造られた城下町ということもあり、古いものと新しいものが融合したような、温かみのある街並みが素敵で、まだまだ行ききれてないところがいくつかある。
そして熊本で住んだ3つのまちから徒歩圏内にあった、大学生活にとっても大事な商店街、「子飼商店街」は本当にお世話になった。
250円(今は少し値上がり…)の大盛りの唐揚げ弁当屋さん、白菜がひとたま50円の時もあった安い八百屋さん、ラーメン屋巡りをしようと思い1軒目にいって、巡るどころかそこのリピーターになるほど気に入ったラーメン屋さん、大学生でもワインと美味しいご飯を楽しめる、カウンターの居心地の良いお店。
歩いているだけで楽しくなる、賑わいのある商店街の近くに住むのは初めてで、まちのひとと近く、自分もこのまちの人なのだと感じられるような嬉しさもあり、このあとの引っ越しの条件で「商店街があるまち」というのは欠かせなくなった。
まだまだ、路面電車でもっと遠くに行ったこともあったし、
自転車で知らない道に出てきたこともある。
ここには書ききれないくらいで、一つずつもっと書き出したいくらい、思い出すだけでワクワクするまちの景色と記憶が沢山ある。
思い返すと、こんなに短期間で濃密にいろんなまちを何度も楽しむことができる機会は貴重だと思う。
行動範囲は自転車でも歩きでも回れるくらいだけども、まちの良さを見つけて好きになるという素晴らしさを、考えるようになるきっかけの4年間だったと思う。
それもあってか、東京にいる今でも、熊本市はずっと愛おしい大切な街だ。
大きなアーケードの商店街はバイトのために何度も通ったし、その路地裏に静かにあるお気に入りのカフェを見つけたときは、自分だけの空間ができたようで優越感を感じることもあった。アルバイトをしていたミニシアターも、街中の蔦屋書店や老舗デパートにあったコミュニティーFMのサテライトスタジオも、そこにしかない、忘れたくない場所ばかりだ。
自分が住んでいる街でも、そんな場所が徐々に増えつつある。
いつ引っ越したいとなるかは自分でもまだ分からないし、そもそも好きな場所がいつまでもあるとは限らない。だから、こうやって忘れないように、自分を形作ってきた大切な場所のことは、これからも綴っていきたい。
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