地元産米100%の酒づくり|私と麒麟山:アグリ事業部 部長 伊藤賢一さん編 前編
年末に届いたラブレター
平成23年(2011年)、麒麟山酒造アグリ事業部の発足と同時に入社しました。前年まで農協にいて、当時は58歳で役職定年でしたが、後進のサポートももう少し続けようと、60歳まで農協で農家訪問などを受けようと決めていました。
ところが、齋藤社長が農協に顔を出し、「麒麟山酒造は、全量阿賀町産米を使う酒蔵を目指すから、一緒にやってくれないか」と言うわけです。
実は、2度ほど断ったんです。「農協でもう少し一緒にやろう」という後輩との約束を反故にしてはいけないと思ってね。そうしたら、平成22年末、社長から直筆のラブレターをもらいまして。それですっかり参ってしまって(笑)。
今でも、酒米研究会の農家さんはほとんどが農協時代のお客様です。みなさん、相当規模の田んぼで米づくりをされ、熱く語れる人が沢山います。麒麟山でも、農家さんと語り、ともに汗をかける。私を必要としてくれる人がいるならば、麒麟山で農家さんと一緒に歩むのもいいんじゃないかと心を決めました。「顔の見える農家さんに、地元の圃場で育ててもらった阿賀産米で酒づくりをする」という目標のもと、アグリ事業部はスタートしたんです。
100% 阿賀町産米使用蔵 実現までの困難
平成20年代前半、新潟ではコシヒカリの栽培が主流でした。そのような状況で、コシヒカリから酒米の栽培へと転換していただくのが一番大変でしたね。酒米の栽培面積を増やすためにも、まず酒米研究会の会員を集めなければなりません。夕方、仕事終わりの農家さんを1軒1軒訪ねていくわけです。お茶を片手に世間話をしながら、「一緒に酒米づくりをやらないか」と声を掛けていくんです。
ただ、山間地である阿賀町ではそもそも稲作が難しい。山に囲まれた盆地は、新潟市あたりの平場と違って風が流れづらく、稲付近の湿度が高くなります。結果、「いもち病」などの菌が繁殖して病気になりやすく、農薬散布量も増えがちです。農薬散布は経費も人手もかかります。また、寒暖差の大きい山間地は、夕方には露がおります。水気でコンバインが詰まってしまうので、夜間の稲刈りはできません。
「コシヒカリをつくれば売れる」という状況で、未経験の酒米づくりに抵抗があるのは当然です。新たに勉強することも、実際の手間も増えます。
さまざまな課題がある中、酒米研究会では定期的に勉強会を開き、中干し(なかぼし:田んぼの水を抜いて、成長を抑制し茎数を調整すること)や穂肥(ほごえ:籾(もみ)を大きくするために出穂期にやる肥料のこと)等について、普及センターの指導を受けながら酒米栽培について学びました。良い米をつくってくれた農家さんに奨励金を出す制度もこのときにできました。
目標の達成、そして継続のために
アグリ事業部を立ち上げて8年後の2018年、ついに地元の酒米100%での酒づくりを達成しました。入社以来一番うれしく、達成感でいっぱいになった瞬間でした。ともに試行錯誤してきた8年を思い返し、農家さんと喜びあいました。
現在、アグリ事業部の従業員は3名。17haほどの田んぼをつくっています。手が足りない時は、他部署に応援要請をして手伝ってもらいます。酒米づくりで重要で苦心するプロセスは、カメムシの発生を予防するための畔草刈りです。5月下旬から6月中旬、7月中旬から下旬、8月中旬から下旬にかけての年3回、社員全員で行っています。
米づくりは共同作業。同じ場所から水を引き、水路を共有していますし、自分だけがよければいいという考えは通用しません。アグリ事業部は、阿賀町の各地に田んぼを持っていますが、各集落の予定に合わせて草刈りをしています。かつては、刈った草を水路に落として苦情を言われたこともあります。地域のルールに合わせ、取り組むことが重要です。
阿賀町産米100%の酒づくりを維持するためには、日々調整が必要です。どこにどんなお酒がどのくらい必要なのか、売り先と相談する営業担当から製造へ、製造からアグリ事業部、アグリ事業部から農家さんへと情報が伝わります。農家は、農協と相談して肥料や種もみを冬のうちに買っておく必要があり、とにかく早く情報が欲しい。需要情報を取り入れつつ、春になる前に作付け面積を決定しなければ、酒米の過不足が起きてしまいます。阿賀町産米100%になったからこそ、必要量から大幅なずれがないように作付け面積の調整が必要になるわけです。
(後編へつづく)