自然農法と宗教の関係 付録コラム#005
自然は未知です。自然栽培も未知です。
時間と共に場が変わる。場が変われば方法も変わる。人が変われば品質も変わる。
このカラフルな個性がおもしろいと私は感じています。
いろんな山の登り方があるように、自分が選んだポジションから人それぞれ山の頂を目指している。
自然は鏡のように自分が映る。
良くも悪くも自分らしさしかない、誤魔化しの効かない世界という感じがしています。
今回はそんな山登りのひとつ。
「自然農法」の変遷をざっくり辿っていきます。
神道系新興宗教との関係
江戸の世が終わるころに神道系新興宗教がたくさん出てきました。
徳川出雲系から藤原大和系に覇権が変わったのが明治維新、と最近ようやく聞かれるようになりましたね。
この時おそらく、出雲系がアンダーグラウンド化したのが神道系新興宗教ではないかと考えられます。
さて、そのなかでも戦後まで影響力を持ったのは出口王仁三郎氏の大本教です。
この団体に、後に自然農法を教義として独立する岡田茂吉氏が属していました。
昭和初期、時代の雰囲気はハイカラな大正時代から一転、戦争に突入し一般市民は世界戦略の巻き添えになっていきます。今も変わらないけど。
その頃に岡田氏は自身の団体を立ち上げています。
当時は化学農薬、化学肥料がだんだんと普及しはじめました。
かの有名な宮沢賢治も
化学肥料を陸羽132号というお米とセットで広めていたのは意外な話。化学肥料の反作用についてはまだ知られていなかったんだろうと思います。
しかし、化学肥料は金額も高価で、下肥えや植物系動物系の有機肥料による有機栽培が主流でした。
教義としての自然農法
岡田氏は
化学肥料はもちろん有機肥料も自然のバランスを崩し虫や病気の原因となると指摘し、
また、食べる側にとっても毒になるとして、肥毒と名づけて、肥料ではないアプローチで栽培する
自然農法を提唱しました。
岡田氏の自然農法は宗教概念により、シンプルに解釈されており、3つ宇宙のエネルギー
火素 太陽
水素 月
土素 地球
で育っているという概念です。
これは岡田氏の施術の概念とセットになっていて、トータルコンセプトとして思想の根幹になっています。
簡単に言えば、もう要素はそろってるから肥料などの根が引きつけられるものは成長を阻害する、ということです。
この火水土と肥毒の概念が岡田茂吉氏が提唱した自然農法の特徴です。
しかしながら全然農産物が育たず、宗教としての自然農法は有機栽培に移行していきます。
戦後、岡田氏亡き後の団体は100あまりに分裂し自然農法もいろんな形になり、
自然農法を追求する人々、農法と思想とは関係ないとする人々など様々に枝分かれしました。
自然農法と自然栽培の違い
現場の視点から言えば、火水土や肥毒だけの自然農法は成り立ちません。
タネの選別や品種の選定、他にも土質や作土の深さ、気温など、
いろんな要素を鑑みてはじめて実現します。
自然農法は教義であるがゆえに新しい考え方やアプローチを受け入れることが難しく、概念や技術が停滞しました。
火水土や肥毒という専門用語を使わなければ自然農法ではない、という優劣を主張する点も含まれ、やや差別的な姿勢も人間関係上の社会問題でした。
この山の登り方以外は認めん、的な。
当然そういった一方的なヒエラルキーの押し付けは、結果を出していた一般の生産者にとっては全く無意味なものでしたが。
自然農法と自然栽培
この2つは言葉は近いですが、ステージが全く異なると考えています。
自然農法は教義 答えありき 統一性
自然栽培は方法 答えはまだまだない 多様性
自然農法はその出自ゆえに利権的、統一的、支配的な性格に悩まされ停滞しました。
教義とは特別でなければいけません。
しかし、現在は一般の自然栽培生産者の取り組みが結果を出しており、自然農法は教義としての特別感が失われてしまいました。
また、自然栽培と称していながら、実質は教義のように囲い込んでいこうとする団体もありますが、それも同じく停滞する要因です。ややこしい。。
自然というオープンな媒体を特別にし独占するクローズ化は、本来であれば完全に矛盾しておりミスマッチです。
しかし、高度経済成長期や戦後農業体制といった社会的立場からクローズ化せざるを得なかった時代が長く続いたことも留意する必要があると考えています。
隊列を組んで周りを警戒しながら山を登る必要もあったということです。
時代によって色んな形がある中で、自然栽培はやはり、全てが正解、とするオープンソースフォーラムであることがwin-winの発展につながると考えています。それはブロックチェーンや結に通じるところがあるように思います。
色んな道からてっぺん目指そうや〜、といった感じでしょうか。
そういう意味では自然農法も貴重な山道のひとつです。
現場のリアル
例えば、先祖代々、柔らかい土の層が何メートルも深い地域の生産者が、楽に自然農法的なアプローチで栽培できるのはラッキーとしか言いようがありません。
なんだかスムーズに育っているように見えます。流通業界もこれぞ自然農法!ともてはやします。
しかし、日本全国そんな場所は一部に限られ全く応用ができません。
逆に厳しい環境でも自然栽培として生産出来ている生産者は、その品種にあったタネの力を引き出す環境づくりを必ずやっています。
人が地域や土に合わせていく栽培こそ、より多くの学びがあり、そういった視点は共有できるものが多いと考えています。
自然栽培の現在地と展望
全国の生産者の毎年の取り組みにより2011年以降、さらに勢いよくアップデートしてきた自然栽培は
過去の自然農法の観点もひとつの参考としながらも、あくまでも栽培方法として発展しているところかと思います。
自然栽培が世界に開かれたフォーラムになるには
◎特別じゃなくみんなができること
◎自然の豊かな生み出す力を享受すること
◎覇権などが関わらないこと
そんな自由の権利としてインディペンデントな取り組みであってほしいと考えています。
今後はAIとの融合による自然栽培の効率化や、すべて人の手で行うようなテクノロジーを介さない生命的なアクティビティーも再評価される時代が来ると予想しています。
福岡正信さんについて
福岡正信さんの自然農法は比較的、田畑や自然と距離があり現場を知らない方がハマる独特なロマンがあります。
私もそんなひとりでした。
しかしながら、いろいろ試しましたがこれによる営農は無理でした。残念ながら成功者は1人も会ったことがありません。
前記事のプランツウェルフェアにはほど遠く、草の中で苦しそうな野菜たちは硬くてアクが強かった。また、案外栽培が難しくなってくると有機肥料を使用したりする点は、地域循環型の有機農業といった感じかと思いました。
アフリカなど雨が少ない地域、草が少ない地域でなら可能な方法かもしれません。
また、人間は悪、自然は善、というのも違和感があり、作務衣は着てて仙人みたいだけど案外ヨーロピアンマインドの人かなと見受けられ、西洋でウケているのもそこが関係してるかもしれません。
この福岡正信さんの自然農法も貴重なモデルケースのひとつとして捉えています。
というわけで今回はマニアックなお話しをさせていただきました。(いつもマニアックか笑)
※本記事はあくまでも栽培における歴史考証や現場経験からの考察であり、特定の信仰に関しての批判ではありません。海外に出れば当たり前ですが信仰は人間生活にとって重要かつ不可侵の権利です。統治と宗教は密接に関わっているため歴史を探究する場合は触れる必要があります。率直な意見もさせていただきますがフラットな目線を心がけています。ご了承くださいませ。
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