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健康日記①(24/1/4)母と娘の苦しみ

年が明け、2024年になった。
年が明けるということに年々興味がなくなってきたように感じる。
2023年は大きな変化の年だった。新卒で入社してから一年半働き、体調を崩し休職した。人生一日一日繰り返し坦々と過ごしていくしかないのだという考えが身についたように感じる。

一歩進んで二歩下がる、たまに運良く三歩進む。そんな感じで進んでいるのか留まっているのか、訳がわからなくなってくる。

今は家族のサポートのため、いや本当は自分の気分転換の為なのかもしれないが祖母の家にいる。年末は一日胃痛がした。年始は不安体な毎日だ。時々気分が良いと思ったら不安感で満たされたり、よくわからない。朝は非現実で少し明るい気持ちになるが、親戚と話をしたり夜になると心に小さな傷が無数についていたことにふと気づく。急に1人になりたい、泣きたい気持ちになる。家族は私が泣いている理由など訳がわからないのだろう。しかし家族というものはそんなものだ、理解してもらおうなどと思う事は傲慢だと自分に諦めさせる。なんで20代で悟りを開こうとしなければならないのだ。ままならない。今は周りに身勝手な行動を取ろうとする自分を制御するため、代わりに自分を紐でギュッと締め付けているようだ。

最近変わったことは、自分を観察しようとしていることだ。今まで一面的に感じていた自分の言動の理由を考える。どんな面、どんな感情や歪みがあるのかと理解しようと努めている。(すごく疲れるがやや希望も感じる)
その結果、やはり発達障害は生きづらさに関係していると思う。しかし新たな発見として愛着や人との繋がりに歪みがあると気づいた。

これは偶然でもあるが、この数日間親戚と関わる中で女系家系ならではの苦しみがあると気づいた。

曽祖母が祖母に、祖母が私の母や叔母に、そして叔母がいとこに、母が私や姉にしてきたことが人格形成に脈々と強烈に影響しているということだ。

私を含め、うちの親戚女性人は大人になってから急にはっきり病み始めた。(本当は幼少期からのものであるとおもうが)

そしてその母親達に共通するのは皆過干渉ということ。それが支配的でも、一見愛情深いだけに見えても、子供が成長過程で作るはずの境界線に侵入していることに変わりはない。結局他者と自分の境界線が曖昧になり家族以外との距離感がバグる。関係構築がうまくいかないと病む。

それが自分だけでないことに気づいた時、問題の壮大さに気づいた。そして母と娘の関係は良くも悪くも他にはない密なものだと実感した。

その時、今まで私が母に抱いていた恨みのような、どうにか責任を持って助けてほしいような気持ちをぶつける先は無いのだとわかった。
なぜなら母もまたその感情を懸命に抱えながら自身を鼓舞して子供を育てたということがわかったからだ。何か納得いかないまま大人になった女性が母になるという事は、自分が満たされなかった幼少期、青年期を諦めて子供に全てを捧げるという事なのだ。

同時に1人苦しみ子育てに心血を注いできた母親を想うと、私の恨みは柔らかく薄くなり心の奥に落ち着いた。それは初めて母を母親としてではなく1人の人間として見ることができた瞬間だった。共感さえも感じる、どんなに辛かったかと。そして私が同じように無意識に他人に干渉しようとしていることに気づいた。

皮肉な事に脈々と続く思考の支配は終わっていなかった。自分を見つめ直すだけではなく人とのコミュニケーションを見つめ直すことで、自分のことがわかる時がある。その学びを得られただけでも良かったと思いたい。母のせいにし続ける自分を解放することができた事は間違いなく幸せを増やした。

母との関係性が急に良くなるわけでも、体調が急によくなるわけでも無い。ただ脳みそに絡みついた結び目を一つ一つ解いていくようなそんな感覚があった。

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