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【オーストラリア滞在記】ド田舎で暮らすデメリット、20日目


前回の続きです。


ド田舎で暮らしているデメリット



・人の助けがないと生きられない

生活していく上での大前提、移動ができない。

移動ができないということは買い物ができない、日本へ帰れない。
大問題。

さらにはゴミのこと、買い物をするお店のこと、
そこで生活するための当たり前を誰かの助けがないと知る術がなかった。

小さな町のために情報をインターネットで調べてもホームページすらない、というのは普通で。

だから家の目の前を通った人に聞く、(これはかなり勇気がいった。)
職場の同僚に助けてもらう。

この点は否応なく、そこで暮らす人たちと関わりを持っていかなければいけない。

本当に始めは勇気が必要だったけれど、これが転じてメリットになり。
英語を話さざるを得ない、現地の人と関わらざるを得ない状況が、結果私が求めていた生活になっている。


・虫が怖い、一人が怖いなんて言ってられない

自然の中にあればそれはそれはその自然で暮らす他のものたちに囲まれる。私の場合は夜の環境と蜘蛛。

一人暮らしだし、周りに何も無さすぎて、夜、なんか出そうで怖い。
スピリチュアル的に。

ホラー系を怖いもの見たさで見てしまった結果、いつも後悔し眠れなくなる程度に信じている。

まっっっったく今までそういった存在を見たこともないし、昔流行った肘に霊感ある線とかもないけれど。
気持ち的になんだか怖い。と思っていた。

でも現実問題そんなに多くの人がこの街に住んでいたわけでも無さそうだし、多分そういう存在に出会ってしまっても、まだ私はまともに何を言っているか聞き取れないと思うので気にならなくなった。

蜘蛛はいすぎて段々模様に見えてくる。

じっくりみてしまうと鳥肌なんてレベルではない気持ちの悪さの蜘蛛が大家族でいるのだけれど。
全然動かないし、飛んでくるタチの悪い他の虫を捕まえて綺麗に食べてくれる。
さらには人が通るところはあけておいてくれるので、喋らない同居人と思うことにした。


これが日々自分がこの環境に慣れていっているのが最も実感できるポイント。
初日は怖すぎて走って通り過ぎたので。

夜が怖いと虫が怖い。でした。


・時折出くわすというアジア人差別

現地の人が多い地方の街ならばなおのこと、少数派の異国民は好奇な目でみられるのは日本でも同じ。

明確な差別的言動は、いつかの仕事中の一件依頼ない。

日本の田舎のように、知らない人に対してやけに話しかけたり、噂になったりもない。

カフェに一人でいたら話しかけられることも、、、残念ながらない。

ケアンズにいたときはすごく話しかけられたのだけれど、ここでは一人でいてもなんだか興味がないみたい。
その代わり私が何か聞いたり、困った様子を見せると控えめに声をかけてくれる。

この点は、踏み込まれすぎないのが私はとても楽。

それでも夜や人があまりにもいない場所は何が起こるかわからないので、その辺りは同僚たちにも色々聞きながら注意はしている。


・遊ぶ場所がない

人によっては最もな懸念点かもしれない。

街と言っても15分も歩けば端から端に行き着いてしまうので、徒歩では1日遊び回れる場所がない。

そもそものこの辺りの観光名所は海なので、海で遊ぶ以外にやることはあまりない。

私はマリンスポーツを行わないが、走ったり歩き回ったり、本を読んだり、文章書いたりが好きなので特に一人の時は苦にならない。


田舎暮らしのデメリットはこんな感じだろうか。
細かく考えれば色々ありそうだけれど、それらは反対にメリットも多く持っている。

私がここに来た時の始めは寂しさが強かったのだけれど、それらもアプリなどを利用すれば解決できることが最近判明。

日本でも最近は普通だけれど、同僚曰く、こちらオーストラリアはアプリが全然主流とのこと。むしろそれ以外では殆ど出会わん、と。

これは友達も、異性も同じ。

興味本位で始めたアプリのお話しはまた今度。



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kome
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