「猫と話がしたい。」14歳の愛猫の介護がはじまった話
14歳の愛猫の介護がはじまった。彼女は私が19歳のときに友人から引き取った私の大切な家族だ。出会ったときは、手のひらの上で寝かしつけられるほどの大きさだった。パーカーのポケットの中で寝るのが好きだった天使の成長スピードは速く、1年もすればパーカーのポケットになぞ入れなくなり(それでも入ろうとしてたけど)、今はもうシングルベッドで一緒に寝るとちょっと狭い。最初は寝返りでつぶしてしまうのではないかと不安で猫用ベッドを自分のベッドの上に乗せていたけど、今は彼女がいれば寝返りなんて打てたもんじゃない。立派なでか大福。
猫の「14歳」は、人で言えば80歳近いらしい。もう、身体のあちこちがガタついたっておかしくない。品種で多少差はあれど、猫全体の平均寿命が15~18歳ということを考えれば、うちの天使にだって、もう何があってもおかしくない。
当たり前だが、猫は話せない。かゆい、痛い、辛い、だるいなんて言ってはくれないし、腹が痛いのか、頭が痛いのか、何が食べたくて何が食べたくないのか、話してはくれない。14年間彼女と暮らしてきた記憶の積み重ねを頼りに、彼女が食事をする様子、トイレに行く様子、歩き方、遊びたがっているかどうかを見守り、そのささやかなシグナルを受け取っていくことしかできない。今まで、こんなに「この子と話したい」と思ったことはなかった。
ただ、考えてみると、うちの子はなぜかコミュニケーションがとれる。私が恋人とケンカをして悲しんでいれば寄り添ってくれるし、仕事で帰りが遅くなると文句を言う。魚より鶏のささみが好きだし、布団の上に夏用のタオルケットを準備しておかないとベッドに乗らず「タオルケットを敷け」と無言の圧をかけてくる。そんなコミュニケーションは取れるのに、具合が悪いときはその様子を見せてくれない。それが、猫。
今はまだ、そう重たい病気なわけでもないし、今すぐ覚悟を決めなきゃいけないような治療が待っているわけでもない。朝、夜、寝る前の投薬と、週に1回の通院がある程度だ。食欲もあるし、よく遊び、よく喋る。それでも私は、週1回の通院で血液検査の結果が悪いと、涙をこらえられなくなってしまう。
返事をしてくれないのは分かってるけど、今日も、私はうちの猫に話しかける。
どこかかゆいところはない?
おなか痛くない?
ごはん美味しい?食べられる?
お水飲んで、おトイレしてね。
病院嫌いなこの子が、どんな老猫生活を望むのか、どこまでの治療を望むのか、それも私が勝手に判断しなきゃいけない。できる限りのことはしてあげたい。でもそれは、私が彼女と出来る限り長く一緒にいたいからだ。それをこの子が望んでいるのかは、分からない。
穏やかに。身体に負担がかからないように。毎日が嫌になってしまわないように。ずっと一緒にいようね。ずっとさ。