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音信不通の友人を探しています

高校時代の友人を探している。
仮に「R」と呼ぼう。
Rを含めて仲の良かったグループの誰も、Rの行方を知らない。

みんな口をそろえて、
「いや、あんたが知らないなら誰も知らないんじゃない…?」
と私に言う。

もう親をあたるしかなくなり、今Rママの知り合いを探っている。

Rは高校時代から自由奔放、を越えて傍若無人。
洋服が好きだった。
何百年続く呉服屋の娘として生まれ、お金に苦労したことはなく、地元では有名なほど裕福な家の子だった。その傍若無人っぷりを愛する、これまた奔放で若すぎるRママは、私が泊まりにいくと、いつも嬉しそうだった。

お風呂場にシャンプーが何種類も並んでいて、朝食でフレンチトーストとエッグベネディクトが出てきたり、うちとはまったく違う家庭文化にいつも驚いた。

そんな家に育ったRは、下着デザイナーだ(った?)。
私はRのおかげで下着に詳しくなった。

乳首の透けるレースのブラジャー。
紐と透けた布きれで出来たショーツ。

昔は一切興味がなかったし、なんなら紐が切れようが穴が開こうが気にならなかったけれど、今は下着が大好き。お気に入りのブランドでばかり下着を買うようになった。

仲が良かった頃。彼女のバイトしていたランジェリーショップに遊びに行き、彼女のおすすめの下着をよく買った。採寸の練習にも付き合った。リアルな身体で参考になる、と彼女は良く笑った。

でも、どうしても洋服のセンスは彼女に追い付けなかった。現場終わりに汚いリュックとスニーカーで、GINZA-SIXのとあるブランド店に呼び出された。店員さんがいつ私が椅子に座ってしまうだろうか、と心配していた。今私が持っている服の金額をすべて合計しても、彼女が買う一枚のジャケットやスカートの値段には届かない。

「自分に似合う服が分かってない」
「ウェディングドレスは絶対に私がデザインする。あんたは絶対自分に似合わないのを選ぶでしょ」
「その髪型を一生続けて。2週間に一度美容院に行って」

彼女の愛情が私の洋服への興味を変えることはなかったけれど、私は彼女のゆがんだ愛情表現が好きだった。それが、らしさだった。


数年前、共通の友人の結婚式に出席することになった。

式の数日前、友人だった新婦からRは来ないと聞いた。
ホテルも取った、待ち合わせ時間も決めた。なのに、Rは私に一言もなく式への出席をキャンセルしていた。

さすがにない、と電話口で私は彼女を叱った。

正直、彼女の遅刻やドタキャンはよくあることだった。
ただ、当時、ブラック企業に勤め、心が廃れていた私の貴重な休みの予定が狂ったことが、許せなかった。私にとって、3年ぶりの連休だった。

気付けなかったけれど、
彼女は当時、仕事と人間関係で挫折し、鬱っぽい状態になっていた。冗談交じりに「もう鬱だよ~」と言った彼女の言葉をちゃんと聞いてあげられなかった。

彼女と連絡が取れなくなった。

数年が経ち、私は彼女を探し始めた。

きっかけは特にない。ただ、会いたい。

大人になると新しい友達が増えるよりも、昔馴染みの友達が減っていくことの方が多い。私は、彼女を失ったままではいられない、と思った。

大人になってから、社会に馴染めなかったのは、遅刻やドタキャンが多い彼女だけじゃない。私も、ルールや義務に縛られるのは苦手だった。
喜怒哀楽を隠していなきゃいけないことも、物事を穏便に済ませなきゃいけないことも、いやだった。彼女と話すように、みんなと普通に気持ちを話して、怒って、悲しんで、笑って頑張りたかった。

だから高校時代に死ぬほどケンカして「でも、あんたが言ってることが本当なのも分かってる。」と言った彼女と、大人になっても本当の気持ちを話せる関係が続いていたのは、私にとって宝物だった。

あの時、私はなんであんなに怒ってしまったんだろう。
本当のことを言える関係だからこそ、本当に大事な場面では互いを思いやらなきゃいけなかった。

後悔しているかと言われると、分からない。
私たちだからこそこうなったし、またいつか会える気がしてる。

まだ、会えてないけど。話せてもないけど。
彼女は私のことなんて忘れて、何も思っていないのかもしれないけど。

私は会いたいんだ。誰がなんと言おうとも。

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