どれから読む?韓国文学~ブームに至るまでのふりかえりとお勧め本、そしてその魅力を語り尽くす②(対談:古川綾子(翻訳者)×伊藤明恵(クオン)
刊行が増えてきた韓国のSFやミステリー、ファンタジー
古川 引き続いて次は「あなたにぴったりな韓国文学2」ということで、韓国で今、人気のあるジャンルはどの辺なのかを知りたい方にお勧めしたいものをご紹介します。SFやミステリーの作品です。割と純文学こそが文学だ、というような偏見があるというか……。
伊藤 韓国では純文学以外の作品は「ジャンル小説」と言われてきましたね。
古川 そういった風潮を変えてくれたのが東野圭吾さんかなと思っています。
伊藤 ずっとベストセラーに入っていますね。
古川 『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は韓国全土に支店がある大型書店のチェーンで総合売り上げランキングの1位に選ばれた年もあったくらいで、とにかく東野圭吾さんの翻訳本は人気です。そんな経緯から、そもそも「ジャンル文学」という言い方自体が失礼じゃないかということが言われるようになり、意識が変わってきたように感じています。その頃からか定かではないのですが、韓国でも大御所から若手まで、SFやミステリー、ファンタジーの作家さんがたくさん出てきています。日本で刊行される韓国文学も、去年あたりからこうしたジャンルの作品が多く出てきています。
『最後のライオニ』の左が、『千個の青』です。こちらは個人的に推したい作品です。早川書房から出ていて、チョン・ソンランという作家が書き、カン・バンファさんが翻訳されています。主人公はヒューマノイド(人に似せたロボット)のコリンで、体重が軽い方が都合がよい競馬の騎手にされたわけです。彼は落馬したために廃棄処分される運命にあるのですが、彼が乗る馬も脚を痛めていて、同じように安楽死処分されるかもしれない、という設定です。ヒューマノイドなので、知っている単語も千個しかなく、人間の五感のかわりに、センサーでさまざまなことを感じるのですが、自分たちを救おうとしてくれる人間の少女に出会うことで少しずつ変化していく、というお話です。「命がないものを愛せるのは人間くらいだ」というコリンの台詞があって、ヒューマノイドには愛はわからないと思っていたのだけれど、次第に誰かを助けたり、幸せにしたりっていうことの価値や意味を知り、(人間の)世界に触れていきます。こうして今話していても涙が出てきそうなくらい、最近読んだ中では一番やさしい気持ちになれた作品だったなと思っています。
伊藤 韓国のSFは、弱者への視線など、学ばせられるところが多いですね。
古川 次はミステリーの『殺人者の記憶法』で、こちらも翻訳大賞を受賞された作品です。クオンから出ています。
伊藤 作者はキム・ヨンハさん。
古川 翻訳は吉川凪さんで、タイトル通り殺人者、元殺し屋のお話です。
伊藤 結構ひどいことをしている主人公です(笑)。
古川 そうですね……でも今は引退して、詩を学びに行ったりしていて、余生を楽しんでらっしゃるんですが、それまでの自らの所業を詩に書いたりします。ところが認知症になってしまい、今度は自分の娘が狙われているということに気付きます。認知症は進んでいくけれど娘は守りたいというところで、どうなるのかというお話です。映画化もされています。
伊藤 ソル・ギョングさん、キム・ナムギルさん等が出ています。
古川 この原作を読んでから映画も観ていただけると楽しめると思いますが、すでに映画を観られてしまった方でも大丈夫です。本は本で、映画は映画で楽しめる作品です。
チャートに載せきれなかったのですが、SFの分野ではチョン・セランという作家がいまして、このMAPには『フィフティ・ピープル』を載せています。ジャンルというボーダーを軽やかに潜り抜けていくというか、とても自由自在に書く作家なんです。亜紀書房さんでは「チョン・セランの本」というシリーズがあって、斎藤真理子さんが訳された『保健室のアン・ウニョン先生』があります。個人的には『声をあげます』がすごく好きです。
「現代社会が見えてくる」韓国文学
古川 次はMAPの右の方にいきます。「あなたにぴったりな韓国文学3」ということで、韓国の現代社会とか過去、現在と過去が見えてくる作品をご紹介します。韓国の近現代の歴史をみていくと、1910年から35年間は日本の統治下、1950年に朝鮮戦争が起こり、その後は軍事独裁政権と民主化抗争を経て1987年に民主化がなされますが、自由に声をあげられない、自由に表現ができない時代が長く続いていたという事情があるわけです。そうした中で文学は、社会の抱えている問題点や不条理を訴えたり、正しさとは何なのかを世の中に問いかける役割を担ってきたのではないかと思います。作品を読むことで歴史的な出来事が見えてくるだけなく、文学が担ってきた役割に気づかされることがあり、それは今活躍している現役の作家たちにも共通項として感じられることがポイントだと思います。「現代社会が見えてくる」というテーマでいくつかの作品をご紹介します。
例えば『82年生まれ、キム・ジヨン』は、チョ・ナムジュさんが書かれて、筑摩書房から刊行、斎藤真理子さんが翻訳されています。この本のジヨンの話が海の向こうの30代の女性の話ではなく、日本においても自分の物語だという共感を得たということは、私たちにとっても現実に突きつけられている問題がこの作品から見えてきたからだと思うんです。
その隣にある『娘について』は亜紀書房から刊行され、キム・ヘジンという作家が書いたもので、私が翻訳をさせていただきました。この作品は韓国ではクィア文学という言われ方をしていますが、もっと広い括りで、いわゆる弱者と言われている人々を扱っているものだと思います。具体的には、身寄りがないために不遇な老後を送っている、かつて有名な人権活動家だった女性、ずっとまじめに働いてきたのに貯金ができず、肉体労働をやめられない中年女性、博士課程にまで進んだにも関わらず仕事がない大学の非常勤講師などが扱われており、介護の問題や世代や価値観の断絶など、社会が抱えているさまざまな問題点が見えてくるものです。キム・ヘジンさんの他の作品には『中央駅』があり、生田美保さんの訳で彩流社から出ています。中央駅というソウル駅をモデルとした仮想の駅の下の方に暮らすホームレスの人々の物語です。その中に、その日からホームレスとなった男性と女性がいて、彼ら二人を主軸に展開する作品です。
次は『仕事の喜びと哀しみ』、これはクオンから出ていて、牧野美加さんが訳されています。これは1年半ほど前に伊藤さんが手掛けられたものですが、伊藤さんから魅力についてちょっとお話いただければと思います。
伊藤 まずこの本をクオンから出した理由ですが、クオンの「新しい韓国の文学シリーズ」のラインナップが割と大御所の作家さんのものが多くなってきていて。他社さんからフレッシュな作家さんの作品が増えてきた時に、私が社長に「クオンもそういう本を出せないですか?」と言ったらしいんです、覚えていないのですが。
古川 (笑)。
伊藤 そんな折、第1回K-BOOKフェスティバル(2019年)で韓国の書店員さんがいらして、みなさんが推していたこの『仕事の喜びと哀しみ』を社長が読み、面白いから出そうということになりました。
「仕事」がキーワードになっている短編集です。会社で働くことについてのものもあれば、そうじゃないものもあるのですが、私たちの日常生活で起きることが描かれていると感じます。著者のチャン・リュジンさんが、ご自分の小説の中で賃金格差などの男女における格差があるということはデフォルト値だ、とおっしゃっているインタビューを読んだことがあります。そのような社会の中で私たちが日々どうやって生きているのかということが、押しつけがましくなく描かれていて、読み終わった後になんとなく顔を上げたくなる、背中を押してくれるような感じがあります。ドラマ化されたのもわかるなぁと。
古川 これまでの文学が問題提起の役割を果たしてきたとしたら、もうすでにその問題というのはデフォルトで、その中でこれからどうあるべきかというその次を見てほしい、ということなんですよね。
伊藤 はい、だから結構辛辣というか、シニカルだったりする部分もあるのですが、そこもすり抜けて一歩前に出ていく感じがあります。ちょっと仕事で疲れた日などに、ドラマを観て気分を切り替えるような感じで、読んでいただくとよいかと思います。
「韓国社会の過去」を知る韓国文学
古川 ここからは歴史的な領域に関するお話です。韓国の近現代史を見ていくと、避けては通れないところだと思います。今の日本では、コスメやK-POP、おいしい食べ物など、キラキラした韓国を目にすることが多いと思いますが、そんな韓国になる35、6年前の軍事政権下の韓国は、深夜に外出することができなかったり、日本の文化が禁止されていたりしました。そんな時代の韓国のこともできれば知っていただきたいと思い、歴史を知るための本を何冊か考えました。
まず左からですが、『夜は歌う』で、新泉社から出ています。キム・ヨンスさんが書かれて、橋本智保さんが訳されました。日本の支配下にあった1930年代のお話です。今の朝鮮族の自治州にあたる地域を舞台に、武装組織や革命軍に属する若者たちが疑心暗鬼からお互いをスパイだと疑うようになり、凄惨な殺し合いとなった実際にあった出来事がベースになっています。お話としては、静かな優しい文学青年が、革命や時代、歴史の波に飲み込まれていくというものです。民生団という組織は実際にあった組織ですが、私もこの民生団事件については、この本を読むまではあまり知りませんでした。巻末に歴史研究家の方の解説があり、この時代の出来事について詳しい説明が載っていますので、興味のある方はぜひ読んでいただければと思います。
次は『広場』、これはクオンから出ています。チェ・イヌン(崔仁勲)さんが書かれて、吉川凪さんが訳されました。こちらは1950年代、朝鮮戦争が停戦した後のお話です。捕虜になった主人公の男性が南に残るか北に帰るかの選択を迫られて、結果的に目指した場所は南でも北でもなかったのですが、その結果どうなったか、ということがテーマのお話です。作者自身が朝鮮半島が分断される前の北のご出身で、朝鮮戦争が始まった年に家族で南に来られたとのことで、身をもって半島の分断を経験された方です。
伊藤 日本でも何度も訳されてきた本で、クオンで新訳をしました。今でこそ韓国の教科書にも載っている作品ですが、クオン代表のキムの学生時代は違ったそうです。というのも、(主人公が)南を選ばない作品が教科書に載るわけがなかったと。キムは、南でも北でもない第三の選択肢があるということが衝撃的だった、とも言っていました。その話を聞いたとき、韓国の読者が抱く感覚を自分は理解できていないとも思いましたが、それでも作品を通して少しでも何かを感じることができればと思います。
古川 なぜタイトルが「広場」なのか、というのは私たちにはなかなか理解しづらいのですが、韓国ではこの「広場」という言葉が一つのシンボルになっていますので、朝鮮戦争や分断について知りたいという方にはぜひ読んでいただけたら、と思います。
次は『こびとが打ち上げた小さなボール』。河出書房新社から出ています。チョ・セヒさんという作家が書き、斎藤真理子さんが訳されています。1970年代のお話で、テーマとなっているのは、都市開発です。読んでいて、簡単な言葉で語り切れないという思いを強く持ちました。作者の執筆当時は検閲が厳しく、いつ書くことができなくなるかわからないため、連作という形が取られている、ということを斎藤さんからお聞きしました。格差というものを、きれいごとではなくここまでリアルに描くのだと、私はちょっと言葉がなくなるような思いがしたんです。また、日本語版を出していただいたこと自体素晴らしいことですし、感謝したいと思っています。歴史的な出来事が描かれた作品を読む際の入口というか、きっかけになってくれたらいいな、と思います。
伊藤 必ずしも、歴史を知らなければ読めない作品ではないと思いましたが、読んだら韓国の近現代史や社会をもっと知りたくなる方もいるかもしれません。
古川 この作品で描かれたのがどんな社会だったのか、どんな政権だったのか、都市開発とはそもそも何だったのか……そうしたことを検索したり、調べてみるのもいいのかな、と思います。
次は『少年が来る』。クオンから出ていて、ハン・ガンさんの作、井手俊作さんの訳です。これは1980年代のお話です。1987年に民主化がなされましたが、そこまでには長い民主化抗争の歴史がありましたが、この作品はその中でも特に痛ましい記憶の残る1980年の、いわゆる光州事件をテーマとした作品です。読むときにはちょっと体力が要ります。ただ、抗争で命を落とした方だけではなく、(言い方は悪いようですが)生き残ってしまった方たちがその後の未来の韓国で生き続けなければならなかったことや、(犠牲者の)家族の方などの一人一人の視点で描かれています。伊藤さんが初めて読んだ時の印象はどんなものでしたか?
伊藤 実は先週また読み直したのですが、その後の週末ずっと(感情が)グルグルしていました。「その経験は放射能被曝と似ています、と語る拷問を受けた生存者のインタビューを読んだ」という一節があり、自分の経験が内部から自分を蝕んでいく、という描写があります。それは光州のことだけではなくて、さまざまな立場であり得るものだと思いました。舞台は1980年の光州ですが、時空を限定せず、今も強く訴えてくるものがあると思います。
古川 そうですね。今また、別の国、別の地域で同じような思いをしている人たちもたくさんいらっしゃるのではないかと思います。
伊藤 また、必ずしも何かを糾弾する物語ではないとも感じました。
古川 そうですね、誰が悪いとか正しいという書き方ではなくて、一人一人のそのままを描いているというか。それが逆にぐっとくるのかな、と思いました。
今までご紹介してきたものは30年代から80年代までのものですが、その上の二冊『ディディの傘』と『外は夏』は、主にセウォル号沈没事故を扱ったものです。直近の韓国での一番大きな事件というと、大統領の弾劾などもありましたが、このセウォル号の沈没事故が挙げられるのかと思います。
日時:2022年3月25日@文喫(六本木)
※「お客様感謝祭-旅スル書店祭-」の一環として実施
登壇者プロフィール
古川綾子(ふるかわ・あやこ)
神田外語大学韓国語学科卒業。延世大学教育大学院韓国語教育科修了。第10回韓国文学翻訳新人賞受賞。神田外語大学講師。訳書に『走れ、オヤジ殿』(キム・エラン、晶文社)、『そっと 静かに』(ハン・ガン、クオン)、『未生、ミセン』(ユン・テホ、講談社)、『外は夏』(キム・エラン)、『わたしに無害なひと』(チェ・ウニョン、以上、亜紀書房)など。近刊は『君という生活』(キム・ヘジン、筑摩書房)、『ひこうき雲』(キム・エラン、亜紀書房)。
伊藤明恵(いとう・あきえ)
翻訳・通訳エージェント勤務を経て、2016年よりクオンにて書籍制作の進行管理、版権仲介業務等を担当。
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