自己肯定感に難癖をつける
難癖というより、論じている、にしようww
だって、他に、思いついてる人がいないかも知れないから。
耳にタコどころじゃないセリフに
「自己肯定感が低いので色々不都合が起きる」
「成功している人は自己肯定感が高い」
というのがある。
言ってる意味はもちろんわかるけど、これは、肯定感を「量」で表している、と考えることが出来る。「肯定感」という計れるモノがあって、その多寡を問題にしているというわけだ。
よって、「肯定感が低い=少ない、から、自信が持てない」とか「肯定感が高い=多い、から、人生ポジ」という解釈という話ですよね。
でも、勝手に言葉を自己流解釈し、肯定感を「量」ではなく、それを感じる確からしさ、というか、「強度」のようなものであると考えたら、全く逆になる。逆というのは、そのことから導かれる結果が、逆になるだろう、ということだ。
・自己肯定感が低い、つまり、自己肯定の認知が低い=今のままで充分幸せ
・自己肯定感が高い、つまり、自分はこんなレベルで終わる人間じゃない!=not幸せ
という図式。
実際、自己肯定感が低いとかいって悩んでいる人は、自分の才能をもの凄く信じて肯定しているように見える。
自分に関する愚痴を吐く人間もそう。
ただ単に、現実がついてこないから、だめだ、って言ってるようにしか聞こえない。
自分、どんだけ優れた人間だと思っているのか?
いや、蔑んでいるんじゃない。
できない、うまくいかない、とか五月蠅いけど、それは、自己能力の認知レベルが高すぎるってだけなんじゃないの?と。
できないと思うのは、自分ができると思っているからでしょう。
ということは、自分の設定がずれているというだけの話だ。
そのレベルも、大抵は、他人が設定しているわけではない。
自分で、自分の能力を過大評価して、駄目な人間だと決めつけている。
今のレベルで、できないだけだ。
だから、自己肯定感が低いとかのたまう人には、心の中で「違う。低くなんかないわ。自己肯定のレベルが高すぎるんだよ」と言い返すことにしている。こっちの気持ちが楽になるからだ。
しかも、困っているようなので、こうしたら?とか試行錯誤してるだけだよ、とアドバイスするのだが、そういうことでもないらしい。
愚痴を言ってサッパリする、という感覚が、よくわからない。
同じところを永遠にループする感じがするんですけどね。
この逆転の理論を「自己肯定感のパラドックス」と命名した。
自分で、新しい理屈を考えるのは楽しい。
しかし、自己肯定感って何の用語なんだろう?
完全に一人歩きしてるなあ。
終わり